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世界の終わり。
2024年04月30日 (Tue)
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2010年07月01日 (Thu)

 透明のアクリル板を接ぎ合わせて作った長方形の箱の中に色とりどりの造花をいっぱいに敷き詰めて、準備はようやく整った。呼吸を止めてしまった妻をその中に寝かせ、同じくアクリル板の蓋をする。妻は生前と変わらず美しく、今も生きているようだった。もう一度蓋を開け、硬くなり始めた妻の体を抱き締める。涙は不思議と出て来ない。昨晩泣き明かした所為で枯れてしまったのだろうか。もう二度と血の通わない唇にキスをすると、そこから僕の体も固まってしまいそうな気がした。でもそんな気がするだけで、妻の後を追う勇気すらない僕は妻の体を棺の中に戻した。

「私が死んだらアクリルみたいな硬い板で棺桶を作って庭に埋めて。土に還ることも灰になることも嫌なの。あなたのそばにずっと居たいの」
 アクリル製の棺は妻の遺言だった。妻は心臓を患っていて、もう長くないことを随分前から悟っていたのだと思う。口癖のように何度もその言葉を繰り返した。そのたびに僕は悲しくなったものだが、実際にその日が来てしまうと意外にも冷静に棺を作ることが出来た。
 庭の桜の木の下に深く掘った穴の中に置いた棺に蓋をし、手を合わせる。それからは黙々と土をかぶせ続けた。妻の体が見えなくなってしまうと、まぶたの奥がじんわり熱くなったけれど、やっぱり涙は落ちて来なかった。妻の墓が完成したのは、日が暮れ始めた頃だった。

 深夜、妻の夢を見た。しなやかに動く妻は、僕の顔を見て
「何怒ってるの?」
 と聞く。僕はいつも表情が硬いと妻に怒られ、そうからかわれていた。夢の中の妻は、少女のようにけらけらと笑っていた。

 翌日、僕はもう一つ棺を作った。僕の身長より少し大きめに作ったそれに、買って来た造花を並べていく。穴は掘らなかった。妻の墓の隣に僕の棺を置き、その中に体を横たえる。妻が死んだ日から、天気はずっと晴れだ。雲一つ無い真っ青な空を見上げながら、妻のことを想った。
 妻が最後に見た景色を、僕は今見ている。実際に息を止めたのは寝室のベッドの上だけれど、僕にはまだ妻が生きているような気がしてならないのだ。
 耳元でカサカサとこすれる造花の感触が、子守唄のように眠りを誘う。僕には埋めてくれる誰かもいないし、死ぬ覚悟も出来ていない。明日からは妻のいない世界で、一人で生きて行かなくてはならない。それはきっと難しいことではないだろう。僕は身の回りのことは全部自分で出来るし、食事だって作れる。何年かしたら新しい妻を迎え入れるかも知れない。
 それでも、こうして妻と同じ景色を眺めて頭を空っぽにすることが今の僕には必要で、こうすることでしか僕は前に進むことが出来ない。僕と妻の記憶をアクリルの板に閉じ込めて、明日からまた違う世界で生きて行く。
 太陽が沈み始める頃、僕は棺を出た。そして僕の棺を解体し、造花を妻の墓の上に撒いた。朱から藍に染まった世界で深呼吸をすると、土の匂いが心地よかった。



(2010/6)
 

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2010年06月26日 (Sat)

 目を開けても闇が広がっていた。肌に馴染んだシーツの感触と、嗅ぎ慣れた血の匂いが、僕を夢から現実まで引きずり上げる。ついこの間まで動いていた時計は止まってしまった。今が何時なのかも分からない。闇の中、心臓だけが強く打ち始める。
 手探りで彼女の手のひらを探した。小さな、傷だらけの手のひらは、遥か遠くに転がっていた。必死でたぐり寄せ、壊してしまわないようおそるおそる握る。弱く握り返した瞬間に、彼女の呼吸を感じて僕は安堵する。
 もう何回目かも分からない。彼女の死にたがりの癖は、ただの癖だと分かっていても毎回僕を絶望に陥れる。

「ごめんね、また切っちゃった」
 メールと一緒に添付されたずたずたの腕と、真っ赤なタオル、カミソリ、血の溜まった洗面器の写真。嫌な予感はしていた。昨日彼女の家に行けなかったことが、僕はずっと気に掛かっていたのだ。目の前が真っ暗になる。倒れてしまいそうだ。全身をねばついた汗が流れて、僕は発作的に彼女の家まで走り出していた。
 息を荒げながら合鍵でドアを開けると、彼女は涙を浮かべて笑っていた。狂気じみたその笑顔に、居ても立ってもいられなくなり、一目散に走り寄る。
「えへへ、ごめんね、またやっちゃった」
 血まみれの手で彼女は僕の頭を優しく撫でる。胸に顔を寄せて、彼女が生きていることを確認する。目の前で動いていても全て僕の錯覚であるような気がして、体温を感じるまではそれを信じることが出来ない。
「切るのは構わない、でも、絶対に一人で死なないで。その時は僕も一緒に逝くから」
 何度交わされた会話だろう。彼女は申し訳なさそうに何度も「ごめんね」と呟く。僕は馬鹿みたいに涙を流した。血の溜まった洗面器に落ちた涙が溶けて行った。
 僕がそんな厄介な彼女を見捨てられないのは、数年前の僕を見ているようだからだと思う。僕には彼女の中の闇を取り払うことが出来ないのかも知れない。それでも、どうしても手放すことなど出来なかった。

 傷だらけの体を抱き寄せ、胸に顔を当てる。微かな鼓動が、僕の不安を少しだけ軽くする。冷えてしまった体を温めるように強く強く抱き締めると、彼女はそれに応えるかのように僕にしがみついた。目が慣れると同時に、闇が少しずつ薄くなる。灰色の視界に、ぼんやりと彼女の輪郭が浮かび上がった。頼りない小さな腕が、僕の自由を奪う。
「どこにも行かないでね」
 かすれた声が静寂の中に響いた。彼女の不安はどうしたら拭うことが出来るのだろう。僕は彼女に出会って自分に傷を付けることはなくなったけれど、僕にとっての彼女に、僕はなれないのだろうか。
「うん、ずっとそばにいる」
 永遠なんて存在しないことを、僕自身が一番よく分かっている。それなのに、僕はまた嘘を吐いてしまう。彼女は僕の嘘を嘘だと見抜いているのかも知れない。だから腕を切ることをやめられないのかも知れない。
 熱を取り戻した小さな額に口を付けると、彼女の頭が動いて僕の唇を探す。冷たい唇は、ほんのり鉄の味がする。血を全て舐め取って僕の唾液を流し込むと、ようやく彼女の味が還ってきた。
 柔らかい体に絡み付き、彼女の細部まで口を付ける。その度に上がる小さな悲鳴に、僕はとても興奮する。
「どこにも行かないで」
 小さな体を侵してしまうと、彼女は何度も同じ言葉を囁いた。僕は何度も嘘を吐く。いや、嘘じゃない。ずっとそばにいたい。でも、明日がどうなってしまうかなんて、僕も彼女も分からないのだ。
 永遠は保証されていないことを、僕は彼女に出会うまで知らなかった。彼女はいつも綱渡りをしている。孤独で過酷な作業を繰り返し、自分で自分を追い詰めている。何が彼女をそうさせるのか、本当のところは僕にも分からない。
「自分が嫌いだから」
 彼女はそう笑って言う。僕が今の彼女だった頃、僕も同じことを思っていた。でも、僕は彼女と出会って変わった。僕にとっての彼女に、僕はなりたい。それなのに。
 彼女は常に死と向き合っている。自分で死への道を選んで歩いている。彼女がいつまでもここにいるとは限らない。今日ここにあった体が、明日にはもう動かない。今僕の下で笑う彼女が、次の瞬間には呼吸を止めている。そんなことがあっても何もおかしくはないのだ。
 小さな空洞に射精をすると、彼女は僕の頭を抱き寄せて
「ありがとう」
 と言う。いつもだ。何に対する「ありがとう」なのか、未だ聞いたことはない。僕はうなずき
「どういたしまして」
 と返す。すると彼女は笑う。彼女を否定することだけはしたくない。否定されることは、とても悲しいことだ。それは僕もよく知っている。

「ホットミルクが飲みたくない?」
 腕の中で、彼女は小さく言った。汗ばんだ体にそれはあまり似つかわしくない気がして
「冷たいのじゃなくていいの?」
 と聞いた。
「うん、お砂糖いっぱい入れた甘いホットミルクが飲みたい」
 彼女は恥ずかしそうに笑う。彼女が望むなら、どんな熱いミルクでも飲み干してしまいたい。
 足元に転がる血の匂いがするものたちを蹴飛ばしてしまわないよう注意を払いながら、薄闇に目をこらしてキッチンへ向かう。流しの上の小さな蛍光灯の紐を引っ張ると、その明るさに目が眩んだ。
「眩しい、ね」
 Tシャツ一枚と下着だけの彼女は、そのまま崩れ落ちてしまいそうな細さだ。冷蔵庫を開けると、ヨーグルトとフルーツゼリーが並んでいる。それ以外には飲み物しか入っていない。彼女の食生活はずっとこうだ。変わらない。ポケットから牛乳を取り出し鍋に注ぐと、彼女は背中にしがみついた。
 ほのかな体温を感じながら、鍋を火にかける。焦げてしまわないように静かに揺らす。湯気が立ち始めたのを確認し、火を止めると彼女の体が離れた。細い腕が二つのマグカップを差し出す。去年買ったおそろいのマグカップの片方は割れてしまったから、違う大きさのカップだ。彼女は自分の体を傷付けるためには、その道具さえも厭わない。片割れのマグカップは、彼女に破壊され腕の上を滑った。
 砂糖を落とし、カップを抱えて流しの下に座り込む。ミルクは熱過ぎずぬる過ぎず、ちょうど良い温かさだった。猫舌の彼女には少し熱かったかも知れないな、と思い隣を見ると、案の定ふうふうと息を吹きかけていた。
 僕たちは流しの下にもたれ掛かったまま、言葉も無く時間を消費した。沈黙の中に時折響く虫の声が、夏の始まりを知らせている。彼女と出会って二回目の夏がやってくる。
 少しずつ窓の外が明るく始めた頃、ようやく彼女が口を開いた。
「このまま夜が明けないといいのにね」
 うん、とうなずいてカップに口を付ける。白い液体はぬるく、底に溜まった砂糖が流れ込んできて、その甘さに驚く。彼女のカップにはまだ半分以上ミルクが残っている。
 これが全部夢だったら、彼女と出会ったことも、彼女を愛したことも、今ここにいることも、彼女が隣で感じている孤独も、全てが夢だったら、僕は救われるのだろうか。彼女を救うことが出来るのだろうか。
 新聞配達のバイクの音が遠くで聞こえる。街は動き出している。彼女はミルクの残ったカップを脇に置いて、僕の腕を掴む。生々しい傷痕が残る腕に指を這わすと、じわりと血が滲んだ。腕を持ち上げ、傷痕にキスをする。血を舐め取ると、彼女は小さく声を漏らした。
 涙がすぐそこまで出かかっている。まぶたのすぐ裏には沢山の涙が待機しているのに、どうして泣けないんだろう。それは彼女も同じだ。真っ赤な瞳が優しく僕を見つめている。救われたいのは僕の方だったのかも知れない。
 僕は目を閉じた。広がる闇の中に、小さく光る星が浮かんでいる。ここは宇宙だ。二人だけの宇宙。夢ならば、このまま醒めずにゆらゆらとたゆたっていたい。このまま彼女と宇宙の底まで落ちて行きたい。
 それでも僕たちは、どこにも行けないことを知っている。だからこんなにも悲しいのだ。僕はきっと彼女を救えないだろう。彼女は彼女でいることが、きっと一番美しい。
 朝刊をポストに入れる音が、がこん、と大きく響く。僕たちは途方に暮れたまま、朝を迎える。



(2010/6)
 

2010年06月26日 (Sat)

 朝から凄まじい雨で、こんな日に宮沢さんを呼び出したことをひどく申し訳なく思った。
「びちゃびちゃだよー」
 そう言いながら下駄箱の前で傘を振り回す宮沢さんに、僕は散々謝った。ごめんねこんな朝早く呼び出して、ジュース奢るから。そんな簡単な謝罪でも笑いながら許してくれる宮沢さんが僕は好きだ。真っ黒な髪の毛、真ん丸い瞳、捲った袖の先から伸びる細い腕。性格も良い。
 玄関の時計は七時を回ったところ。購買の脇の自販機にお金を入れて、コーラのすぐ下のボタンを押したらピーチネクターが出て来た。
「うわ懐かしい! 私これがいい」
 はしゃぐ宮沢さんにピーチネクターを渡して、もう一度小銭を入れる。コーラはやめて緑茶にした。またピーチネクターが落ちて来た。
「何これ、もしかして全部同じの入ってんじゃないの?」
「そうかもね」
 仕方なく僕も赤い缶を拾い上げる。ピーチネクターを最後に飲んだのなんて、何年前だろう。
 僕たちは教室がある三階まで他愛もない話、例えば昨日の課題は終わったか、とか、数学の林の喋り方が気持ち悪い、とか、そういう話をして上がった。宮沢さんはころころと笑う。花が開くように、ポップコーンが弾けるように。とても可愛い。抱き締めたくなる衝動を抑えるのに僕は必死だ。
 誰もいない教室のカーテンを開けて、窓を開けると、雨のにおいが肺いっぱいに広がる。
「話って何?」
 缶を開けながら宮沢さんが聞いた。そのしなやかな手つきにいちいち見惚れてしまう。僕が黙っていると、携帯電話を取り出してメールを打ち始めた。誰に送るんだろう。少しだけ息が苦しくなる。ピーチネクターを喉に流し込んだ。甘ったるい。甘過ぎて吐きそうだ。
「宮沢さん」
 何て素敵な響きだろう。ミヤザワサン。
「何」
「僕のものになってよ」
 陳腐なセリフだ。生まれて初めての告白だと言うのに、それ以外に言葉が浮かばなかった。
「は? 無理」
「何で?」
「彼氏いるし」
「別れてよ」
「やだよ。私もう行くね」
 怒ったような顔をして宮沢さんは鞄を掴んだ。その細い手首を握ると、驚いた顔がこちらを向く。
「離して」
「僕のものになってよ」
「やだってば」
 振り解こうとする宮沢さんを無理矢理抱き締める。腕の中で暴れる宮沢さんは小さな子供みたいだ。なんて愛しいんだろう。
「やだ!」
 宮沢さんの最期の言葉を聞いた瞬間、僕は白い首筋に手を掛け力を込めていた。やがて動かなくなった宮沢さんの顔面を、近くにあったゴミ箱で殴る。ガション、ガション、ガション。
 頬が抉れて額が割れている。ゴミ箱の底は血まみれだ。急に喉が渇いてピーチネクターを手に取る。でも口にする気にはなれず、宮沢さんの上にじゃばじゃばと振り掛けた。血の匂いがどんどん甘くなる。
 真っ赤に染まった宮沢さんの唇に自分の唇を押し当てると、さっき飲んだピーチネクターの味が戻って来た。キスがこんなにも甘いことを、僕は生まれて初めて知った。



(2010/6)
 

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原発牛乳
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女性
誕生日:
1984/09/21
職業:
自由人
趣味:
眠ること
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