世界の終わり。
坂だらけの街に生まれた。十七年前の暑い夏の日のことだ。誕生日が来る度に、生まれてすぐ汗疹が沢山出来て大変だったのよ、と母は溜息を吐く。十七年経った今でも私の腕がざらざらしているように思うのは、その所為だろうか。
私はよく、夏に生まれた言い訳を考える。一人で、ぼーっと空なんて見上げながら。大抵は、青い煙草と冷たい麦茶で解決してしまう。白い煙が流れる雲と同化する時に、氷が溶けてコップの縁を滴る時に、私は一つずつ答えを見付けるのだ。その度ににやっと笑う自分が嫌いでは無い。
突き抜ける青と、気怠く流れる白い雲。それだけで私が夏に生まれた理由が解る気がする。言い訳をする様な場面には、未だ出会わないけれど。
汗で濡れた夏服、揺れる胸元の青いリボン。茹だる様な湿気と日差し。六時間目の授業を早退し、私は毎日三軒隣に住む「シゲオくん」の家に向かう。
「四つ這いになれよ」
「…何で」
「いいから。早くパンツ脱いで」
シゲオくんに言われるまま私は下着を取り、少し黄ばんだシーツに手を付く。冷たい指が、私のそこをなぞる。私は思わず声を上げてしまう。
「すげーな、ここ」
体中が心臓になった様に、どくどくと脈打ち出す。この瞬間、私は解放される。止められないのはその所為だ。
私とシゲオくんが初めて関係を持ったのは、今から四年前。私が中学に入学した年だった。
三軒隣の、近所の年上の男の人。幼馴染みと言うには年が離れ過ぎていて、私が生まれた時、シゲオくんは中学生だった。
シゲオくんには婚約者が居る。私と関係を持つ、ずっと前から。その人は今アメリカに留学していて、帰国したら結婚するのだそうだ。
「いつ帰って来るの」
その問い掛けに、シゲオくんはいつも答えをくれない。知らない、分からない、まだ、もう少し、そう言い続けて四年が経った。
それは私を繋ぎ止める為の嘘では無いのか。そう悟った瞬間から、私は何も聞かなくなった。
「欲しいのか?」
「……」
「何か言えよ」
シゲオくんは、私をいつも乱暴に抱く。そうされることに快感を覚えてしまった私の体は、シゲオくん以外の人とするセックスに、何も感じない様になってしまった。愛情なんて面倒臭いものは無くて良い。シゲオくんのごつごつと骨張った体と強い腕が今日も私を抱くのであれば、私はそれだけで生きて行ける。
「青木、」
そう呼ばれても最初は誰のことだか分からなかった。三度目に呼ばれた後、先週名字が変わったことをやっと思い出した。母が二度目の再婚をしたのだ。
私はまだ結婚をしたことが無いのに、十七年のうちに四つの名字を名乗ったことになる。どれが私の名前で、どれが本当の私なのか、考えることすら飽きてしまった。取り敢えず今は、私を「青木」と呼んだ相手の元に走るべきだろう。
私の名前を呼んだのは、担任である若い数学の教師だった。細身の長身と黒縁の眼鏡は、私を初めて抱いた頃のシゲオくんを彷彿とさせる。他人に興味など全く示さない様な、渇いた視線なんかが特に。
「今日も早退するのか」
「はい」
「ちゃんと早退届出しとけよ」
ここ数日、この教師とは同じ様な会話を繰り返している。私は学校に居る間、授業中にまでシゲオくんとのセックスを思い出す様になっていた。授業が終わるまで待てないのだ。現に今だって、シゲオくんに似た教師と会話を交わしただけで私は下着を濡らしている。シゲオくんに抱かれることが私の生活の全てであり、呼吸を止めないことに対する理由になっていた。
世間は程なくして夏休みに入り、私は十七回目の誕生日を迎えた。今年もやっぱり焼ける様に暑く、母はまた溜め息を吐いた。
夏休みの間何をしていたかと問われれば、相変わらずお兄ちゃんの元に通い毎日の様にセックスしてました、としか答えようが無い。宿題なんて手を付けなかったし、補習も出なかった。
何度かあの若い担任の教師から電話が掛かって来たけれど、適当な理由を付けて誤魔化した。おじいちゃんの法事だとか、家族旅行に行くからだとか。
因みにおじいちゃんは健在だし、我が家は家族揃って旅行に出掛けるということがまず有り得ない家庭である。ばればれの嘘を吐きながら、笑いを堪えるのが大変だった。
夏休みも終わりが近付いたその日も、私はシゲオくんの部屋で四つ這いになっていた。外は十日振りの雨が降り、じとじとと湿気る部屋の中での汗に塗れたセックスは最高で、私は幾度と無く世界の終わりを見せられ呼吸を繋げた。
ふと、本当に一瞬、私は窓の方に目を向けた。この窓は、この部屋にある唯一の換気口でもある。最中はいつも窓を閉め、カーテンも閉め切っているのだけれど、その日は不自然にカーテンが揺れていた。窓が開いているのだということに気付くまで、時間は掛からなかった。
いつもの様に私の胸の上に精液をぶちまけた後、いつもの様にシゲオくんは煙草に火を点けた。足下に転がるティッシュペーパーで精液を拭き取り、服を着る振りをして立ち上がる。窓の方をよく見るとカーテンも少し開いていた。
「わざと開けてたの?」
シゲオくんに尋ねようとした瞬間、カーテンの向こう側の人間と目が合った。おどおどとした、でも物凄く卑しい目線。おこぼれを狙う、痩せこけたハイエナの様な。いつから覗いていたのだろうか。
近いうちに、私はその男に犯される。
本能と呼ぶべきであろう揺るがない確証が私の中に生まれ、それからはシゲオくんに抱かれている間もそのことばかりを考えて上の空だった。シゲオくんはそんな私を、いつにも増して乱暴に抱いた。
その日は呆気無くやって来た。
夏休みが終わり、五時間目の授業を早退してシゲオくんの部屋に向かう登り坂の途中。目の前に現れた男は私の手を強引に引っ張り、近くの駐車場に私を連れ込んだ。
おどおどとした目線はこの間と同じ、小太りで年は私より少し上くらい。汗だくになった体からは、欲望に侵された特有の匂いがしている。
私は抵抗をしなかった。これから行われることはある程度予測出来たし、男から殺意を感じなかったからだ。
九月だというのに三十度を越す真夏日だったその日は、車の影になった場所でもじめじめと暑かった。それは男の卑しさと欲を象徴しているかの様でもあり、私は期待と興奮で下半身が熱くなって行くのを、噎せかえる様なアスファルトの匂いの中で感じていた。
男から解放されたのはもう陽が傾き始めた頃で、六回目の射精を終えた男は半裸の私をそのままにして走り去って行った。流石に限界を感じたのだろうか。
私のそこはひりひりと痛み、手を当てると精液と血が混じったピンク色の液体が指に付いた。押し倒された時に打ったであろう頭も、動かす度にじんじんと響く。
男のセックスは荒く単調で、期待を裏切られた私は暫くぼんやりと空を眺めていた。ぐしゃぐしゃになったスカートを手ではたき、青い煙草に火を点ける。
「今日はシゲオくんとセックス出来ないや」
不意に口をついて出た言葉がおかしくて、一人で笑ってしまった。
シゲオくんの家に行くかどうか迷ったが、セックスが出来ないのなら行く意味は無いのと同じだということに気付き、諦めた。私は家に向かってゆっくりと足を動かす。坂を登る度にそこが痛むので、変な歩き方をしていたかも知れない。
家まであと二十メートルという所で、携帯電話の着信音が鳴った。シゲオくんの部屋の窓は開けられ、灯りが漏れている。
「今日は来ないの」
私は少しだけ足を止め、やっぱり今日もシゲオくんの部屋に行くことに決めた。
夕方だというのに街はまだ火照ったままで、藍色と朱色のグラデーションを私は初めて美しいと思った。
(2006/11)
私はよく、夏に生まれた言い訳を考える。一人で、ぼーっと空なんて見上げながら。大抵は、青い煙草と冷たい麦茶で解決してしまう。白い煙が流れる雲と同化する時に、氷が溶けてコップの縁を滴る時に、私は一つずつ答えを見付けるのだ。その度ににやっと笑う自分が嫌いでは無い。
突き抜ける青と、気怠く流れる白い雲。それだけで私が夏に生まれた理由が解る気がする。言い訳をする様な場面には、未だ出会わないけれど。
汗で濡れた夏服、揺れる胸元の青いリボン。茹だる様な湿気と日差し。六時間目の授業を早退し、私は毎日三軒隣に住む「シゲオくん」の家に向かう。
「四つ這いになれよ」
「…何で」
「いいから。早くパンツ脱いで」
シゲオくんに言われるまま私は下着を取り、少し黄ばんだシーツに手を付く。冷たい指が、私のそこをなぞる。私は思わず声を上げてしまう。
「すげーな、ここ」
体中が心臓になった様に、どくどくと脈打ち出す。この瞬間、私は解放される。止められないのはその所為だ。
私とシゲオくんが初めて関係を持ったのは、今から四年前。私が中学に入学した年だった。
三軒隣の、近所の年上の男の人。幼馴染みと言うには年が離れ過ぎていて、私が生まれた時、シゲオくんは中学生だった。
シゲオくんには婚約者が居る。私と関係を持つ、ずっと前から。その人は今アメリカに留学していて、帰国したら結婚するのだそうだ。
「いつ帰って来るの」
その問い掛けに、シゲオくんはいつも答えをくれない。知らない、分からない、まだ、もう少し、そう言い続けて四年が経った。
それは私を繋ぎ止める為の嘘では無いのか。そう悟った瞬間から、私は何も聞かなくなった。
「欲しいのか?」
「……」
「何か言えよ」
シゲオくんは、私をいつも乱暴に抱く。そうされることに快感を覚えてしまった私の体は、シゲオくん以外の人とするセックスに、何も感じない様になってしまった。愛情なんて面倒臭いものは無くて良い。シゲオくんのごつごつと骨張った体と強い腕が今日も私を抱くのであれば、私はそれだけで生きて行ける。
「青木、」
そう呼ばれても最初は誰のことだか分からなかった。三度目に呼ばれた後、先週名字が変わったことをやっと思い出した。母が二度目の再婚をしたのだ。
私はまだ結婚をしたことが無いのに、十七年のうちに四つの名字を名乗ったことになる。どれが私の名前で、どれが本当の私なのか、考えることすら飽きてしまった。取り敢えず今は、私を「青木」と呼んだ相手の元に走るべきだろう。
私の名前を呼んだのは、担任である若い数学の教師だった。細身の長身と黒縁の眼鏡は、私を初めて抱いた頃のシゲオくんを彷彿とさせる。他人に興味など全く示さない様な、渇いた視線なんかが特に。
「今日も早退するのか」
「はい」
「ちゃんと早退届出しとけよ」
ここ数日、この教師とは同じ様な会話を繰り返している。私は学校に居る間、授業中にまでシゲオくんとのセックスを思い出す様になっていた。授業が終わるまで待てないのだ。現に今だって、シゲオくんに似た教師と会話を交わしただけで私は下着を濡らしている。シゲオくんに抱かれることが私の生活の全てであり、呼吸を止めないことに対する理由になっていた。
世間は程なくして夏休みに入り、私は十七回目の誕生日を迎えた。今年もやっぱり焼ける様に暑く、母はまた溜め息を吐いた。
夏休みの間何をしていたかと問われれば、相変わらずお兄ちゃんの元に通い毎日の様にセックスしてました、としか答えようが無い。宿題なんて手を付けなかったし、補習も出なかった。
何度かあの若い担任の教師から電話が掛かって来たけれど、適当な理由を付けて誤魔化した。おじいちゃんの法事だとか、家族旅行に行くからだとか。
因みにおじいちゃんは健在だし、我が家は家族揃って旅行に出掛けるということがまず有り得ない家庭である。ばればれの嘘を吐きながら、笑いを堪えるのが大変だった。
夏休みも終わりが近付いたその日も、私はシゲオくんの部屋で四つ這いになっていた。外は十日振りの雨が降り、じとじとと湿気る部屋の中での汗に塗れたセックスは最高で、私は幾度と無く世界の終わりを見せられ呼吸を繋げた。
ふと、本当に一瞬、私は窓の方に目を向けた。この窓は、この部屋にある唯一の換気口でもある。最中はいつも窓を閉め、カーテンも閉め切っているのだけれど、その日は不自然にカーテンが揺れていた。窓が開いているのだということに気付くまで、時間は掛からなかった。
いつもの様に私の胸の上に精液をぶちまけた後、いつもの様にシゲオくんは煙草に火を点けた。足下に転がるティッシュペーパーで精液を拭き取り、服を着る振りをして立ち上がる。窓の方をよく見るとカーテンも少し開いていた。
「わざと開けてたの?」
シゲオくんに尋ねようとした瞬間、カーテンの向こう側の人間と目が合った。おどおどとした、でも物凄く卑しい目線。おこぼれを狙う、痩せこけたハイエナの様な。いつから覗いていたのだろうか。
近いうちに、私はその男に犯される。
本能と呼ぶべきであろう揺るがない確証が私の中に生まれ、それからはシゲオくんに抱かれている間もそのことばかりを考えて上の空だった。シゲオくんはそんな私を、いつにも増して乱暴に抱いた。
その日は呆気無くやって来た。
夏休みが終わり、五時間目の授業を早退してシゲオくんの部屋に向かう登り坂の途中。目の前に現れた男は私の手を強引に引っ張り、近くの駐車場に私を連れ込んだ。
おどおどとした目線はこの間と同じ、小太りで年は私より少し上くらい。汗だくになった体からは、欲望に侵された特有の匂いがしている。
私は抵抗をしなかった。これから行われることはある程度予測出来たし、男から殺意を感じなかったからだ。
九月だというのに三十度を越す真夏日だったその日は、車の影になった場所でもじめじめと暑かった。それは男の卑しさと欲を象徴しているかの様でもあり、私は期待と興奮で下半身が熱くなって行くのを、噎せかえる様なアスファルトの匂いの中で感じていた。
男から解放されたのはもう陽が傾き始めた頃で、六回目の射精を終えた男は半裸の私をそのままにして走り去って行った。流石に限界を感じたのだろうか。
私のそこはひりひりと痛み、手を当てると精液と血が混じったピンク色の液体が指に付いた。押し倒された時に打ったであろう頭も、動かす度にじんじんと響く。
男のセックスは荒く単調で、期待を裏切られた私は暫くぼんやりと空を眺めていた。ぐしゃぐしゃになったスカートを手ではたき、青い煙草に火を点ける。
「今日はシゲオくんとセックス出来ないや」
不意に口をついて出た言葉がおかしくて、一人で笑ってしまった。
シゲオくんの家に行くかどうか迷ったが、セックスが出来ないのなら行く意味は無いのと同じだということに気付き、諦めた。私は家に向かってゆっくりと足を動かす。坂を登る度にそこが痛むので、変な歩き方をしていたかも知れない。
家まであと二十メートルという所で、携帯電話の着信音が鳴った。シゲオくんの部屋の窓は開けられ、灯りが漏れている。
「今日は来ないの」
私は少しだけ足を止め、やっぱり今日もシゲオくんの部屋に行くことに決めた。
夕方だというのに街はまだ火照ったままで、藍色と朱色のグラデーションを私は初めて美しいと思った。
(2006/11)
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1984/09/21
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