透明のアクリル板を接ぎ合わせて作った長方形の箱の中に色とりどりの造花をいっぱいに敷き詰めて、準備はようやく整った。呼吸を止めてしまった妻をその中に寝かせ、同じくアクリル板の蓋をする。妻は生前と変わらず美しく、今も生きているようだった。もう一度蓋を開け、硬くなり始めた妻の体を抱き締める。涙は不思議と出て来ない。昨晩泣き明かした所為で枯れてしまったのだろうか。もう二度と血の通わない唇にキスをすると、そこから僕の体も固まってしまいそうな気がした。でもそんな気がするだけで、妻の後を追う勇気すらない僕は妻の体を棺の中に戻した。
「私が死んだらアクリルみたいな硬い板で棺桶を作って庭に埋めて。土に還ることも灰になることも嫌なの。あなたのそばにずっと居たいの」
アクリル製の棺は妻の遺言だった。妻は心臓を患っていて、もう長くないことを随分前から悟っていたのだと思う。口癖のように何度もその言葉を繰り返した。そのたびに僕は悲しくなったものだが、実際にその日が来てしまうと意外にも冷静に棺を作ることが出来た。
庭の桜の木の下に深く掘った穴の中に置いた棺に蓋をし、手を合わせる。それからは黙々と土をかぶせ続けた。妻の体が見えなくなってしまうと、まぶたの奥がじんわり熱くなったけれど、やっぱり涙は落ちて来なかった。妻の墓が完成したのは、日が暮れ始めた頃だった。
深夜、妻の夢を見た。しなやかに動く妻は、僕の顔を見て
「何怒ってるの?」
と聞く。僕はいつも表情が硬いと妻に怒られ、そうからかわれていた。夢の中の妻は、少女のようにけらけらと笑っていた。
翌日、僕はもう一つ棺を作った。僕の身長より少し大きめに作ったそれに、買って来た造花を並べていく。穴は掘らなかった。妻の墓の隣に僕の棺を置き、その中に体を横たえる。妻が死んだ日から、天気はずっと晴れだ。雲一つ無い真っ青な空を見上げながら、妻のことを想った。
妻が最後に見た景色を、僕は今見ている。実際に息を止めたのは寝室のベッドの上だけれど、僕にはまだ妻が生きているような気がしてならないのだ。
耳元でカサカサとこすれる造花の感触が、子守唄のように眠りを誘う。僕には埋めてくれる誰かもいないし、死ぬ覚悟も出来ていない。明日からは妻のいない世界で、一人で生きて行かなくてはならない。それはきっと難しいことではないだろう。僕は身の回りのことは全部自分で出来るし、食事だって作れる。何年かしたら新しい妻を迎え入れるかも知れない。
それでも、こうして妻と同じ景色を眺めて頭を空っぽにすることが今の僕には必要で、こうすることでしか僕は前に進むことが出来ない。僕と妻の記憶をアクリルの板に閉じ込めて、明日からまた違う世界で生きて行く。
太陽が沈み始める頃、僕は棺を出た。そして僕の棺を解体し、造花を妻の墓の上に撒いた。朱から藍に染まった世界で深呼吸をすると、土の匂いが心地よかった。
(2010/6)
ただのメモです。