世界の終わり。
7月31日、11時半過ぎ。目の前の温度計は34度を指している様に見えるが、暑さで意識朦朧、視界はぼやけているので定かでは無い。
夏の真下、開け放たれた窓、揺れる濁った純白のカーテン。私は何故此処に居るのだろう。何故この狭く暑苦しい教室で、大嫌いな男子生徒と一緒に数学の補習を受けて居るのだろう。
思考が止まっている。
どうでも良い。早く終わらせて家に帰りたい。エアコンを利かせた部屋で、好きな音楽でも聴きながら昼寝をしたい。だるい。
「宮下さん、」
隣の席に座った大嫌いな村上に話し掛けられた。机の上に頭を乗せ、こちらを向いて口で呼吸をしている。
「…なに」
面倒臭いので返事をするのを躊躇ったが、村上の低い声は少しだけ気に入っているので最低限の言葉を返した。だるさが最高潮に達した私の頭も机の上だ。呼吸は未だかろうじて鼻で。
黒板の上では二次方程式について、チビでデブでハゲ頭の吉川という教師が孤独な論争を繰り返している。私も村上も補習を受ける態度では無い。
「今日帰りみなみ屋のかき氷食べに行こうよ」
みなみ屋というのは学校から歩いて3分先、バス停の前にある古い駄菓子屋だ。半分呆けたばあさんが一人でやっている。お釣りを必ず多く渡すので、学生に大人気の店なのだ。皆いつか罰が当たるぜ、なんて思いながら千円札で会計をする私も人でなしだろうか。
「やーだよ。今日は早く帰りたい」
チビでデブでハゲ頭の吉川に気を遣って、私は出来るだけ小声で返事をした。現在の体勢では吉川の姿は全く視界に入って来ないが、多分聞こえていないだろう。村上は眉間に皺を寄せ、何かを考えている。
私は目を瞑り、みなみ屋のかき氷を食べる私と村上の姿を想像した。汗臭い制服姿で、私はいちご、村上はレモン味を注文する。何十年も前に製造されたであろう旧型のテレビから流れる携帯電話のコマーシャル。
生ぬるい空気をただ掻き回すだけの扇風機の羽根は冴えた緑色。
村上はきっと無駄にべらべらと喋り、私は時たまだるそうに相槌を打つ。ばあさんの動きは緩やかに雑で、多分私のかき氷はメロン味になっているだろう。
「いいじゃん、奢るからさ」
村上は吉川の存在を忘れている様だ。声がでかい。
私は目を瞑ったまま黙っていた。頭の中では今朝冷蔵庫の中に確認したカップアイスが回っている。
「はい、きりーつ、れーい、終了」
いつの間にか正午を回り、数学の補習は終わった様だ。吉川は早足で教室を出て行った。
今日私と村上がわざわざ学校まで来た意味はあったのだろうか。そして、吉川も。
「行く?行かない?」
立ち上がり、今日一度も開かなかった数学の教科書を鞄に詰めながら村上が尋ねる。
どうして男というやつはすぐに答えを出したがるのだ。私は一丁前にそんなことを思った。男という男を知っている訳でも無いのに。取り敢えず目を瞑ったまま頷く。
「どっちよ」
村上の顔が近付いて来る気配がした。私はそのまま村上の唇を受け止める。予想通りだ。意外と柔らかい。鼻息は少しだけ荒い気もするが、落ち着いているし慣れているのかも知れない。
「行く」
半分だけ目を開くと村上がにやっと笑った。
大嫌いなこの男と私は今からみなみ屋でかき氷を食べる。炎天下のグラウンドを村上と二人で歩くのは大層暑苦しい気がしたが、きっとそれも悪くない。
そろそろ素直になれよ自分、そう言い聞かせ私は立ち上がり、黒板消しをクリーナーに掛けようとしている村上の背中にしがみついた。
「おお、びっくりした」
村上の背中からはやっぱり暑苦しい匂いがしている。私は村上の体温が私より高いということを確認してから一人でにやにやと笑った。
「なによ」
村上の低い声も笑っている。今日補習を受けたのが私と村上だけで良かったと思った。
色とりどりのチョークで染まった手を廊下にある水道で流した後、私と村上は濡れた手のひらを重ねて歩いた。
「宮下さんって不思議ちゃんでしょ」
君の方が不思議ちゃんだよ、そう言うと村上は大きな口を開けて笑った。
太陽はまだ高い。明日からは8月だ。陽炎の立ったグラウンドの焼けた土を踏みながら私と村上が手を繋いで歩く姿を想像すると、また笑えた。
(2007/6)
夏の真下、開け放たれた窓、揺れる濁った純白のカーテン。私は何故此処に居るのだろう。何故この狭く暑苦しい教室で、大嫌いな男子生徒と一緒に数学の補習を受けて居るのだろう。
思考が止まっている。
どうでも良い。早く終わらせて家に帰りたい。エアコンを利かせた部屋で、好きな音楽でも聴きながら昼寝をしたい。だるい。
「宮下さん、」
隣の席に座った大嫌いな村上に話し掛けられた。机の上に頭を乗せ、こちらを向いて口で呼吸をしている。
「…なに」
面倒臭いので返事をするのを躊躇ったが、村上の低い声は少しだけ気に入っているので最低限の言葉を返した。だるさが最高潮に達した私の頭も机の上だ。呼吸は未だかろうじて鼻で。
黒板の上では二次方程式について、チビでデブでハゲ頭の吉川という教師が孤独な論争を繰り返している。私も村上も補習を受ける態度では無い。
「今日帰りみなみ屋のかき氷食べに行こうよ」
みなみ屋というのは学校から歩いて3分先、バス停の前にある古い駄菓子屋だ。半分呆けたばあさんが一人でやっている。お釣りを必ず多く渡すので、学生に大人気の店なのだ。皆いつか罰が当たるぜ、なんて思いながら千円札で会計をする私も人でなしだろうか。
「やーだよ。今日は早く帰りたい」
チビでデブでハゲ頭の吉川に気を遣って、私は出来るだけ小声で返事をした。現在の体勢では吉川の姿は全く視界に入って来ないが、多分聞こえていないだろう。村上は眉間に皺を寄せ、何かを考えている。
私は目を瞑り、みなみ屋のかき氷を食べる私と村上の姿を想像した。汗臭い制服姿で、私はいちご、村上はレモン味を注文する。何十年も前に製造されたであろう旧型のテレビから流れる携帯電話のコマーシャル。
生ぬるい空気をただ掻き回すだけの扇風機の羽根は冴えた緑色。
村上はきっと無駄にべらべらと喋り、私は時たまだるそうに相槌を打つ。ばあさんの動きは緩やかに雑で、多分私のかき氷はメロン味になっているだろう。
「いいじゃん、奢るからさ」
村上は吉川の存在を忘れている様だ。声がでかい。
私は目を瞑ったまま黙っていた。頭の中では今朝冷蔵庫の中に確認したカップアイスが回っている。
「はい、きりーつ、れーい、終了」
いつの間にか正午を回り、数学の補習は終わった様だ。吉川は早足で教室を出て行った。
今日私と村上がわざわざ学校まで来た意味はあったのだろうか。そして、吉川も。
「行く?行かない?」
立ち上がり、今日一度も開かなかった数学の教科書を鞄に詰めながら村上が尋ねる。
どうして男というやつはすぐに答えを出したがるのだ。私は一丁前にそんなことを思った。男という男を知っている訳でも無いのに。取り敢えず目を瞑ったまま頷く。
「どっちよ」
村上の顔が近付いて来る気配がした。私はそのまま村上の唇を受け止める。予想通りだ。意外と柔らかい。鼻息は少しだけ荒い気もするが、落ち着いているし慣れているのかも知れない。
「行く」
半分だけ目を開くと村上がにやっと笑った。
大嫌いなこの男と私は今からみなみ屋でかき氷を食べる。炎天下のグラウンドを村上と二人で歩くのは大層暑苦しい気がしたが、きっとそれも悪くない。
そろそろ素直になれよ自分、そう言い聞かせ私は立ち上がり、黒板消しをクリーナーに掛けようとしている村上の背中にしがみついた。
「おお、びっくりした」
村上の背中からはやっぱり暑苦しい匂いがしている。私は村上の体温が私より高いということを確認してから一人でにやにやと笑った。
「なによ」
村上の低い声も笑っている。今日補習を受けたのが私と村上だけで良かったと思った。
色とりどりのチョークで染まった手を廊下にある水道で流した後、私と村上は濡れた手のひらを重ねて歩いた。
「宮下さんって不思議ちゃんでしょ」
君の方が不思議ちゃんだよ、そう言うと村上は大きな口を開けて笑った。
太陽はまだ高い。明日からは8月だ。陽炎の立ったグラウンドの焼けた土を踏みながら私と村上が手を繋いで歩く姿を想像すると、また笑えた。
(2007/6)
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39
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女性
誕生日:
1984/09/21
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眠ること
自己紹介:
ただのメモです。
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