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世界の終わり。
2024年04月30日 (Tue)
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2010年07月30日 (Fri)

 花火大会に行こう、と提案したのは薫だった。人ごみが大の苦手で貧血持ち、すぐに風邪をひく虚弱体質、そもそも家からほとんど出たがらない薫がそんなことを言うなんて思ってもみなかった私は
「無理しなくていいんだよ?」
 と何度も確認した。
「無理はしないよ。たまにはカップルっぽいことしたいじゃん」
 そう薫は笑ったけれど、花火大会に向かう電車の中で既にぐったりしている薫を見て、やっぱり止めれば良かったと後悔した。

 駅を出ると、歩行者天国になっている大通りには老若男女、数えきれないほどの人の群れが黒々とした波を作っている。その脇を固める色とりどりの屋台たちは、道の終わりまで果てしなく続いているかのように見えた。
「あ、わたあめ売ってるよ。杏子、わたあめ好きだったよね」
 満員電車から解放され少しだけ顔色を取り戻した薫は、私の手を引いてわたあめの屋台に向かって歩く。そういえばこんな風にデートをしたのは何ヶ月ぶりだろう。どこかに出掛けても薫がすぐ体調を崩してしまうせいで、ちゃんとデートをした回数なんて片手で数えるほどしかない。
「はい」
 薫から渡されたわたあめの袋を受け取ると、私は自然と笑顔になった。しかし薫の額には尋常じゃない数の汗の粒が浮いている。唇は震え、顔は真っ青だ。
「ちょっと、大丈夫? 顔色悪いよ?」
「いや、うん、大丈夫。……じゃないかも」
 言い終えるより先に薫はその場にうずくまってしまった。頭の上を人々が迷惑そうな顔を浮かべながら通り過ぎて行く。呼吸が荒くなった薫を無理矢理抱えるようにして、すぐそばのマンションの自転車置場に避難した。
 壁にもたれかかる薫に、すぐ戻るから、と告げて三軒隣のコンビニまで早足で歩く。冷たいお茶を買って外に出ると、昼の間に温められたアスファルトの熱気と人の波で、私まで倒れてしまいそうだった。

 自転車置場に戻ると、薫はさっきと同じ体勢のまま、目を瞑って天井を見上げていた。隣に座ってお茶を渡すと、無言でふた口ほど流し込んだ。そしてまた天井を仰ぎ、動かなくなった。
 どれくらいそうしていたのだろう。すっかり日が暮れても、花火大会の会場へ向かう人の群れは止むことがない。しばらくして地響きのように重たい花火を打ち上げる音と、わあっという歓声が辺りに広がった。
「ごめん。俺、最低だな」
 いつの間にか目を開けていた薫が呟いた。右手に握ったままだったわたあめの袋は、すっかり空気が抜けてしぼんでしまっている。
「いいよ。それより、わたあめ食べよう」
 ピンク色の薄っぺらいビニールの袋を開けると、甘ったるい砂糖のにおいが鼻をつく。袋に手を入れて取り出し薫に渡すと、薄闇の中でそれはぼんやりと白く浮かんだ。
「甘い……」
「甘いね。でも私の好きなもの覚えててくれてありがとう」
 花火大会はどんどん激しくなって行く。突き上げられるような音を聞きながら、わたあめは口の中でじわりと溶けた。



(2010/7)
 

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2010年07月15日 (Thu)
 急に降り出した雨が僕たちの合図だった。浴室に閉じこもり、悪天候の観賞会をするのは梅雨時期の定例イベントだ。浴室のすりガラスの窓の向こうの世界は夜みたいに暗い。狭く冷たい床に向かい合わせで座ると、モモは不安そうな顔をして無理矢理笑ってみせた。足の先でスカートをめくろうとすると、無言のまま裾を押さえる。
「このままここから出られなくなったらどうする?」
 僕たちはよくこういうことを想像する。モモは少し考えたあと答えた。
「いいと思うよ。お腹が空いたら……、あっ」
 かばんに手を突っ込んでごそごそとやっている間、僕はもう一度スカートめくりに挑戦した。今回は成功した。水色だ。
「これ、今日調理実習で作ったんだった。お腹空いたらこれ食べればいいよ」
 ラップで包まれた二つのシュークリームがモモの手のひらの上にのせられていた。僕はスカートに足を突っ込んだままそれを受け取る。少し潰れたそれは、薄暗い浴室の中ではとても色が悪い。ラップを取って口に入れると、粉砂糖の甘さが広がった。
「じゃあ、これが毒入りだったらどうする?」
 モモはシュークリームを持ったまま訊く。
「モモに殺されるなら別にいいよ」
「死に至る毒じゃなくて、今のユウのまま時間が止まってずっと死ねない薬が入ってたら?」
 僕は想像した。どんどん年を取って行くモモの横で、若い僕はそれを見守っている。やがてモモは死んでしまうだろう。一人きりになった世界で、モモとの記憶だけにすがって生きて行く。そんな世界を想像しただけで寂しくて苦しくて辛くて、涙が出そうになる。
「唾液感染するってことにしてモモも不死身にしてあげる」
 僕は白い腕を引いてモモの唇に自分の唇を重ねた。隙間に舌をねじ込み、唾液の交換をする。柔らかなモモの舌が、僕の口の中でぎこちなく動く。しばらくして唇を離すと、目を閉じたままモモは言った。
「ここは私とユウだけの世界で、外は荒廃した大地。アルカリの雨が降るの」
 僕も目を閉じる。
「私たちはここに閉じ込められたまま、ずっと二人だけでこうして想像したり眠ったりする。外に出るとアルカリの雨で体が溶けちゃうから、出られないの」
 まぶたの外側が一瞬だけ光ったあと、すぐにゴロゴロと雷が鳴った。雷がこの浴室に落ちて、二人で感電死なんていうのもいいかも知れない。
 薄目を開けるとモモは窓の方を見ていた。雨は降り続いている。湿気で制服のシャツが肌に張り付いて気持ち悪い。もう一度スカートをめくると、モモは僕の方を向いてにやりと笑った。さっきよりも暗くなった浴室の中で、水色の下着は灰色に映った。
「蒸し暑いね」
 どちらからともなく立ち上がり、浴室のドアを開け深呼吸をすると、肺がひんやり気持ちいい。
「シュークリームもう一個ちょうだい」
「こっちは本物の毒入りだよ」
 さっきと同じ粉砂糖の味が広がった。僕はモモに口づけをして、再び毒を感染させる。



(2010/7)
2010年07月01日 (Thu)
 「僕は春野さんのその真っ直ぐで淀みのない目が好きだよ」
 入学式の翌日、わざわざ私の席にまで来てそう言ったのは、同じクラスの上田くんでした。上田くんの目は子犬のように真っ黒でそれこそ淀みがなく、純粋な輝きを放っていました。
 そんなこっ恥ずかしいセリフよく言えるな、と思ったものの、誰かに「好き」と言われても別に嫌な気持ちはしません。私は、自分でも気持ち悪いと認識出来るレベルの愛想笑いを浮かべて
「あ、ありがとう」
 と上ずった声で答えたものでした。
 上田くんとは理科の実験の班が同じで、掃除の班も同じで、気付いたら席替えで隣の席になっていました。上田くんは、ことあるごとに私に声を掛けてくれました。おはよう、とか、また明日な、とか、挨拶程度の言葉でしたが、そんな言葉を一度も掛けられたことのなかった私は心の中で密かに喜びました。身の程知らずというものでしょうか。それは小学校の頃から続く女子からの陰湿ないじめを加速させるにはとても良い燃料になりましたが、このクラスで私のことを少しでも気に掛けてくれる、認めてくれる存在が一人でもいるということが、頑張って明日も学校に来よう、という気持ちにさせてくれたものでした。
 上田くんは今、「僕は春野さんのその真っ直ぐで淀みのない目が好きだよ」と言った時と同じ子犬のような瞳で私を見ています。私の上には同じクラスの男子が三人、ここは放課後の体育倉庫といういかにもなシチュエーションで、私の体をまさぐる六本の腕が汗と湿度と荒い呼吸たちに勢いをつけ、体育倉庫内の温度をどんどん上げて行きます。
「春野さん、こういうの好きでしょう?」
 そう言いながら上田くんは私の髪の毛を掴み、思いっきり右の頬をグーで殴りました。目の前が真っ白になり、まぶたの裏にいくつもの星が飛びます。「ぐふぅ」という色気の無い叫びにもならない声が私の口から漏れると、四人のクラスメイトたちは手を叩いて爆笑です。私はエンターテナー、人々を楽しませるのが仕事なの。そう自分に言い聞かせてもやはり悲しいこと、痛いことに変わりはなく、荒々しく乱暴に扱われた所為で私の下腹部、つまり膣の周りはずっとひりひりしています。髪の毛に飛んだ精液と、体育倉庫のほこりっぽいにおいで今にもむせてしまいそうです。
「今日はもうこのくらいにしとく?」
 上田くんはそう他の男子に意見を求めると、一番体の大きな野球部の中川くんが
「じゃあ俺最後にもう一発やる」
 と言いながら私の下半身に噛み付いてきました。お前最低だな、と同じく野球部の吉田くんが笑います。私はもう声も出せません。きっと私のそこは赤く腫れ上がっているのでしょう。
 お父さんに何て言えば良いんだろう。朦朧とした意識の中で私は考えました。クラスの男子に輪姦されたのは今日が初めてではないけれど、いつもお父さんが私の部屋に来る日とは別の日でした。お父さんが私の部屋に来るのはお母さんが夜勤の日だけ。それは水曜日と土曜日で、残念ながら今日は水曜日なのでした。
 中川くんの体が、私の上にのしかかり、更に私の中心めがけてぐりぐりとそこを突き破ってきます。気持ち良いだとか痛いだとか、そういう感覚は既に一切無く、じんじんとただ痺れるだけで、灰色の天井を見上げながら、ああ早く終わらないかなあ、と私は思います。そして、虚空のことを考えました。虚空は学校の裏にいるメスの黒猫で、とても臆病な性格の所為か普段は絶対に生徒たちの前に現れることはないのですが、なぜか私にだけは懐いているのです。「虚空」という名前は私が勝手に付けました。何となく、響きが可愛いかなあ、と思って。
 私は虚空に何でも話しました。声に出して言うとはばかられるようなことばかりなので、主に心の中でですが、それでも虚空には全て伝わっているような気がします。虚空は私の目をじっと見て、小さく、にぃ、と返事をしてくれるからです。ごろごろとのどを鳴らしながら何度もすりすりと体を寄せて甘えてくる虚空が、私は可愛くて仕方ないのです。虚空にだけは、何でも言える。猫は絶対に裏切らないし、嘘も吐かない。
 中川くんは私の口の中にどろどろとした体液を放つと、私の頭を掴んで奥までそれを押し込んで来ました。青臭い精液のにおいとのどの奥を刺激されたことで私は今にも吐いてしまいそうでしたが、今日の給食はクラスの女子に全部取り上げられてしまっていたので、私の空っぽの胃袋からは何も出ては来ないのでした。
「じゃあね、春野さん。そこちゃんと片付けとくんだよ。分かってるね? また明日ねえ」
 上田くんは私が他の男子に輪姦されているところを見ているだけで、絶対に自分では手を下しません。いつも子犬のような瞳をころころと転がして、笑っているのです。それはきっと私が汚いからでしょう。クラスでも人気のある上田くんが、こんな私に少しでも触れたらきっと腐ってしまいます。
 ひとり残された体育倉庫で、天井を見上げると視界がぴかっと光りました。その直後に物凄い勢いで雨が降り出し、ごろごろと雷が鳴り始めました。私は虚空のことを思い出しすと、ぐちゃぐちゃになってしまった制服を適当に直して、辺りに散乱したティッシュを拾い集めて鞄に突っ込み、体育倉庫の外へ飛び出しました。
 テスト前なので、部活はどこも休みです。いつもは運動部で賑わうグラウンドも、人っこひとりおらず、勢いよく降りしきる雨で土がどんどんえぐられていきます。雨に濡れるのも構わずに、私は校舎の裏まで走りました。雨が髪の毛に付着した精液も洗い流してくれるかも知れない。そんなことを思ったりしました。
「虚空、虚空」
 裏口付近の屋根がある階段のそば、いつも私が虚空との密会を果たしている場所で、何度も虚空の名前を呼びました。雨がひどいので出て来ないのか、雨の音で私の声が聞こえていないのか、虚空は姿を現しません。私はその場に座り込み、雨が止むのを待ちました。今家に帰ればまだ誰もいない。お母さんは夜勤に出掛けたあとだし、お父さんが帰ってくるのは夜の九時過ぎです。それまでにシャワーを浴びて何事もなかったようにお父さんを迎え入れなければなりません。お父さんは、私を抱きながら
「お前だけは俺を裏切らんといてくれ。もう他の女はたくさんだ」
 と泣きます。お父さんはクラスの男子のように私の体を手荒に扱ったりすることもないし、私もお父さんのことが別に嫌いではないので、それを拒否したりすることはありません。これは小学校四年生の夏休みから続く私とお父さんの秘密ごとです。誰にも言ってはいけないのです。あ、でも虚空にだけは話してしまいましたが。
 にぃ、という鳴き声で顔を上げると、雨に濡れてひとまわり体が小さくなってしまった虚空が私の隣に座っていました。私が鞄の中からパンを取り出し虚空に与えると、嬉しそうに虚空はそれを頬張りました。これは給食室のおばさんに頼んで貰ったものです。パン一つじゃ足りなくて、と言うとおばさんは少し怪訝な顔をしましたが、大量に余っているパンの一つを私にくれました。いつもは給食のパンを残して持って来るのですが、今日はそうも行かなかったので。
「美味しい?」
 そう聞いても虚空は返事をすることもなく、がつがつとパンを貪っています。私は今日学校であったこと、「死ね」と書かれたノートがまた三冊増えたことや給食の牛乳に赤い絵の具を混ぜられて無理矢理飲まされたこと、それを見ながら指をさして笑っていた担任のひどい顔やクラスの女子が私に浴びせた罵倒の数々、そして放課後連れ込まれた体育倉庫でクラスの男子に輪姦されたことなどをひとつひとつ思い出しながら話しました。決して口には出さず、心の中で話しかけると、虚空はごろごろとのどを鳴らして答えてくれます。黒いつやつやとした毛並みを撫でながら虚空と話をしている間が、私にはとても落ち着ける時間なのです。虚空はとても綺麗な猫で、顔立ちも凛々しくきゅっと締まった体から伸びる四本の脚はとても美しい。私も猫になりたかったな。虚空にそう話しかけると、顔を上げて小さく、にぃ、と鳴きました。
 雨が小降りになった頃を見計らい、私は学校をあとにしました。夜になればお父さんが私の体を求めて部屋にやってきます。それまでにシャワーを浴びて、部屋を片付けて、今日学校で出された課題を終わらせなければいけません。
 家に帰るまでの間、この世の不幸は私が背負っている、だからみんな私の代わりに幸せになればいい! などと考えていたら涙が出て来ました。いえ、あれはきっと涙ではなく雨だったのです。私は辛くなどありません。こうして生きることが私に課せられた使命であるのなら、喜んで受け入れましょう。
 玄関を開けると、お父さんが立っていました。
「遅かったな……」
 そう言いながら私を殴り付けるお父さんは、いつものお父さんではありませんでした。
「こんな時間まで何をしていた? テスト前だから学校はもっと早く終わるはずだろう。俺はお前に会いたくて、早くお前と二人きりになりたくて、仕事を早退して帰ってきたのに! 何故もっと早く帰って来ない!」
 上田くんが私にしたように、お父さんが私の髪の毛を掴んで頬を何度も殴りました。涙なのか血なのかすらよく分からないものがそこらじゅうに飛び散り、鉄の味がする口の中で、何度も「ごめんなさい」と呟いたけれどそれはお父さんには届いていないようでした。
 お父さんは制服のリボンを勢いよくむしり取ると、それで私の両手をくくって玄関の鍵を閉めました。そして私の下着を剥ぎ取り、ショーツを私の口の中に突っ込みます。むあっとした精液のにおいが口の中にもう一度広がって、私はまた吐きだしそうになりました。しかしそれすら許される間もなく、お父さんは私の膣をぐいぐいと掻き混ぜました。
「おいお前、他の男とやったのか? これは何だ……」
 差し出された中指には血と精液が混じった半固体状のものが巻きついていました。首を大きく横に振ると、
「嘘をつくな!」
 そう言ってお父さんはまた私の頬を殴りました。そして涙を流しながら自分も下着を取り、私の中にずんずん入って来ました。
「お前だけは信じてたのに……、お前だけは……」
 お父さんの涙が私の顔の上にぼたぼたと落ちて来ます。目をつぶると顔に唾が飛んできました。私が生きている世界はこんなにも不条理で、異常で、真っ暗です。神様、神様、もしあなたがいるのなら、次に生まれ変わった時は私を猫にして下さい。
 熱い体液が私の中に流し込まれたあと、お父さんは私を玄関に放置したままどこかに出掛けて行きました。顎と腕の力を使ってなんとかリボンをほどき、口に詰め込まれたショーツを取り出すと、立ち上がって浴室に向かいました。外はすっかり日が暮れて、まだ雨は降り続いているようです。浴室の電気を点け、鏡を見ると、ぼさぼさのおかっぱ頭の女が映っていました。久し振りにまじまじと見る自分の顔はそりゃあひどいもので、痣だらけ傷だらけ、腫れ上がったまぶたの下にくっついている小さな目玉は淀みまくっているし、これはいじめの標的になっても仕方ない、と無理矢理納得させられてしまいました。
 熱いシャワーを浴び、体をごしごしと洗います。下腹部にお湯を当てると思いっきりしみたので、そこはそっとぬるま湯で洗いました。初潮がまだ来ない私の膣から血が流れるなどおかしな話なのですが、そこからあふれ出したわずかな血液が、お湯に混じって排水溝に吸い込まれて行きました。
 お父さんはどこへ行ったんだろう。少しだけ冷静になった私は考えました。お父さんはいつ帰って来るんだろう。帰ってきたら、また同じことをされるかも知れない。いや、今度は殺されるかも知れない。もしかしたら、凶器になりそうな刃物を買いに行ったのかも知れない。私はまだ死にたくない。こんな世界でも、授けられた生はせめて全うしたい。
 髪の毛も乾かさず、投げ込まれた洗濯物の中から適当に選んだTシャツと体育の授業で使う短パンを履いて、私は家を出ることにしました。外はまだしとしと降り続いています。玄関に立てかけてあったビニール傘を差して、私は学校に向かいました。虚空に会いたかったのです。虚空は、こんな私を許してくれるでしょう。こんな醜い汚れた私でも、きっと虚空なら全て受け入れてくれるはずです。早足で歩くと雨が跳ね返ってふくらはぎを濡らしました。そんなことは気にもなりません。頭の中は虚空でいっぱいでした。
 閉じられた門をよじ登る頃には雨が大分小降りになっていて、濡れたアスファルトの上を歩きながら虚空に思いを馳せました。今日は虚空と一晩ここで過ごそう。明日の朝、お父さんが会社に出掛けたあとに家に帰って急いで準備をして、何もなかったようにまた学校に来ればいい。とりあえず今夜は家の中にいるのは危険だ。虚空が私を守ってくれる。
「虚空、虚空」
 私は虚空の名前を呼び、暗闇の中から、にぃ、という声が聞こえて来るのを待ちました。しかしいっこうに虚空は現れません。私は名前を呼びながら周囲を歩きまわりました。そして低く唸るような鳴き声と、闇の中に浮かんだ四つの黄色い目玉を見付けました。
「虚空?」
 目が合った虚空は私のことなどお構いなしに、上に乗せたオス猫に向かって甘い声を発しています。一瞬で状況を把握した私は、
「あ、お邪魔してごめんねえ」
 などと白々しい言葉を投げ掛け門の方へ歩き出しました。虚空は絶対裏切らないと思ったのに。猫を信じることさえ許されないなんて、私の人生めちゃくちゃだ。
 私は傘をその場に投げ捨て、ああああああああああああああああああああ! と叫びながら校庭を走り回りました。そしてぬかるみに足を取られ、そのまま泥だらけのグラウンドに突っ伏しました。
 息が荒く、呼吸とともに口の中に入り込んで来た泥で、舌の上はじゃりじゃりしています。寝返りを打ち、天を仰ぐと、雨粒の一滴一滴が落ちて来るのがよく見えました。
「あーあ」
 思わず口から出たのはその言葉だけで、私は思わず笑ってしまいます。あーあ。
 きっとこの世に神様なんていない。信じる方が悪い。私は私しか信じちゃいけないんだ。そう思いながら見上げた空は綺麗な紺色で、それは制服のスカートの色と同じ色でした。
 私は起き上がり、家までの道を歩きます。時々通りすがる車のヘッドライトが照らす雨粒が、きらきら光って、それはとてもとても綺麗でした。おわり。



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プロフィール
HN:
原発牛乳
年齢:
39
性別:
女性
誕生日:
1984/09/21
職業:
自由人
趣味:
眠ること
自己紹介:

ただのメモです。


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