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世界の終わり。
2024年04月30日 (Tue)
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2010年12月20日 (Mon)
 空が落ちてくる。そう思った瞬間にはもう遅かった。
 濃いねずみ色の空は音も立てずにゆっくりと、僕の頭上に落ちて来た。周りの大人たちは何食わぬ顔で僕をどんどん追い抜いて行く。大人になると見えなくなるものがある、といつかママは言っていた。大人たちには空が見えないのだろうか。
 空は、手を伸ばせばすぐに届く場所まで迫って来ていた。僕がいるこの世界は大きな箱で、その上に重しの石をのせられているかのように錯覚した。
「水っちゃん! 帰ったらすぐグラウンドに集合な!」
 同じクラスのよっちゃんが僕のランドセルを勢いよく叩き、走り抜けて行く。正直僕はそんなことをしている場合ではなかった。きっと家に着くまでに空は地面に落ちてしまうだろう。僕は空とアスファルトに挟まれて、ぺしゃんこに潰れてしまう。それはとても怖いことだった。でも、どれくらい怖いことなのか全く想像がつかなくて、それがまた不気味だった。
 よっちゃんの背中を眺めながら、ランドセルの肩ひも部分をぎゅっと握り締めると、目を強く閉じたままその場に立ち尽くした。あと数秒もすれば僕の頭のてっぺんに空がくっつくはずだった。

「何やってんの」
 聞き覚えのある声がして、僕は思わず目を開けた。声の方向へ振り向くと、同じ登校班の篠原さんが立っていた。篠原さんは僕より二学年上の四年生だったけれど、僕と同じくらいの身長しかなく、いつも一人で黙々と歩いている女の子だった。
「早く帰らないと、鬼が来るよ」
 篠原さんは諭すような口調で言った。僕の目をじっと見つめ続けているので、少しだけ怖くなり、その場から逃げ出してしまいたくなった。
「鬼? 鬼って何?」
何か言葉を発しようとして、とても間抜けな質問をした。言ってからとても後悔した。
「鬼を知らないの? 空から降って来る妖怪だよ。こういう曇りの日は鬼が出やすいんだ。早く帰らないと鬼に食べられちゃうんだよ」
 篠原さんは表情を変えずに、真面目な顔をして言った。僕はまだ小さな子どもだけど、鬼や妖怪が実在しないものだということは知っていた。篠原さんはそれを信じているのだろうか。
「ほら、早く帰りな」
 篠原さんにランドセルを強く押され、僕は家に向かって歩き始めた。空は僕の頭のすぐ上で止まったまま、もう動いてはいなかった。
 少し歩いてもう一度振り返ると、篠原さんは知らない大人と話していた。幼稚園に通っていた時に読んだ絵本に出てきた赤鬼にそっくりな大人だった。鬼に手を引かれて、篠原さんはタバコ屋さんの角を曲がって行った。
 僕はすぐ上の空を見上げた。この空から鬼が降りて来て篠原さんを連れて行ったのだと思うと、今まで感じたことのない恐怖が全身を駆け抜けた。耳を塞ぎ、半目を開けたり閉じたりしながら家までの道を歩いた。

 玄関の前で、ママがサルビアに水をやっていた。赤いサルビアはママが一番好きな花だ。その色は篠原さんのランドセルと同じ色をしていた。
「おかえり」
 僕の姿に気付くと、ママはいつものように声を掛けた。僕はママに向かって思い切りダッシュをした。半目のまま、手を耳に当てて。呼吸がばらばらになって、心臓がひねり潰されたように痛かった。
 ママのエプロンに顔をうずめると、涙は勢いよく溢れ出した。
「もー、どうしたの? 何か怖いことでもあった?」
 笑いながらママは僕の頭を撫でてぎゅっと抱きしめる。顔を上げると空はもうずっと上の方にいた。濃いねずみ色からほんのりと青みを帯びた色に変わり、季節外れのセミたちが遠くで泣き始めた。

 空が墨汁をぶちまけたみたいに真っ黒に染まった頃、家の電話が鳴った。学校からの連絡網だった。
「えっ、みゆきちゃんが? …はい、…はい、分かりました。明日は休校で、はい」
 篠原さんの下の名前はみゆきだった。嫌な予感が僕の体中を蝕み、胃の奥からアリを潰した時のようなすっぱいにおいがこみ上げて来た。ママの表情を見て、僕は嫌な予感が当たったことを知った。
「同じ登校班の篠原みゆきちゃん、四年生の。川で溺れて亡くなったんだって」
 次の瞬間、僕の上にまた空が落ちてきた。今度は物凄い速さで、大きな音を立てて。ママの声も何も聞こえない。
 僕は篠原さんの赤いランドセルと、赤鬼みたいな顔をした大人のことを思い出していた。空が大きな口を開けて僕を飲み込もうとしている。耳鳴りが近付いたり遠のいたりして、僕の心は空に潰されて、二度と会えない篠原さんの顔が浮かんでは消え、ぐしゃぐしゃになった頭を抱えて震えが止まらなかった。



(2010/11)
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プロフィール
HN:
原発牛乳
年齢:
39
性別:
女性
誕生日:
1984/09/21
職業:
自由人
趣味:
眠ること
自己紹介:

ただのメモです。


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