世界の終わり。
ママ、また泣かせてしまってごめんね。全く誰に似たのかしら、なんて黒い溜息を吐くママは何も悪くないよ。ルナはルナだもん。他の誰でもない唯一無二の存在なんだよ。
光を見ると心がざわつくんだ。暗闇にぽっと浮き上がる小さな明かりがどんどん大きくなって、いつの間にか大きな光の集合体になる。それだけでルナは物凄く興奮するの。おうちの中はいつも明るくて清潔で良い匂いがしているけれど、ルナは何だかそわそわして落ち着かない。ママはいつも空元気を身にまとって、良き母を演じている。不自然なんだ。この家の中にはリアルが存在しない。
じゃあどこにリアルが存在しているのか。自分の心に聞いてみた。家の周りをぶらぶらお散歩している時にね、田んぼを焼いていたんだよ。灰色の煙がみるみる辺りを包んで、目がしぱしぱした。でもその中にある赤い光は、ずっと見ていても飽きなかった。ガードレールに寄り掛かって、日が暮れるまでずっとその赤い光を見ていたんだ。これだ、って思った。感極まって泣きそうになっちゃった。私がずっと求めていたリアル。パチパチいう破裂音、空高く昇る煙、淫靡なまでに艶っぽく辺りを照らす光。
それからは何も躊躇することは無かった。まずは学校の裏の落ち葉の山に火を点けてみた。風が少し強くて、初めはすぐ消えてしまっていた小さな炎が、一瞬風が止んだ時ぶわって広がって行ったんだ。どきどきした。物凄くわくわくした。
徐々に広がって行く光が足元まで来た時、用務員のおじさんに見付かって思わず逃げてしまったけれど、あのままずっと見ていたかったな。田んぼを焼いているのを見た時の何倍もの胸の高鳴りを感じた。息を切らして走りながら、笑いが止まらなかった。ずっと探していた宝物を見付けた時ってこんな感じなのかな。
二回目は失敗しないように、通学路の途中にある壊れかけた倉庫の中で雑誌を燃やした。女の人の裸が沢山載った雑誌がそこには沢山落ちていたの。ランドセルの中から「十二月の学級だより」を出して火を点ける。赤い光は容易く雑誌を飲み込んでいく。そのうち倉庫中に煙が広がって、呼吸がしにくくなった。だから倉庫を出て、一つしか無い倉庫の窓からその明かりを眺めたんだ。胸の中の宝物が一気に膨張して行くのが分かった。その場で地団駄を踏んでしまったくらい。
倉庫全体が光に包まれる頃には、ルナが住んでいるマンションのベランダから倉庫を眺めた。薄闇に暮れるニュータウンの中に浮かぶ、ただ一つの赤い光。その光を生んだのは誰でもないルナなんだって、その事実だけがどんどん体に染み込んで行ってうっとりしたのをよく覚えてる。遠くで聞こえる消防車のサイレンの音。今すぐあの消防車が燃えてしまえば良いのに。私のリアル、ルナの中にある光を消さないで。そう願って少しだけ涙を流した。
あらやだ放火かしら物騒ねえ、寒いから早く中に入りなさい。ルナの姿を見付けたママはそう言って、居心地の悪いリビングに消えた。辺りが完全に暗くなり、そこにあったはずの光が消えてしまった頃、私は小さく声を上げて泣いた。
それからも何度か火を点けては興奮し、消されるたびに絶望して涙を流した。そこには確かに私だけのリアルがあった。学校で良い成績を取ってママに褒められても何にも嬉しくない。赤い光を上手く手に入れることが出来た時、ルナは生きてるんだ、って感じられた。赤い光が絶えた時、生と死は隣り合わせなんだと知った。ルナの存在を証明するには、赤い光が必要だったんだ。
回数を重ねるうち、街中の警戒心が高まって行くのが分かった。チェリーピンクのランドセルはこの街ではまだ珍しかったから、犯人はすぐにルナだとバレてしまった。呆気なく家に連れ戻されてママがおまわりさんにぺこぺこ頭を下げている時も、赤い光の行方が気になって仕方が無かった。ママは私のほっぺたを思い切り叩いて大きな声を出して泣いた。こんなはずじゃ無かった、私は何も間違ってない。子供みたいにぎゃんぎゃん泣き叫ぶママの姿を見下ろしながら、次に火を点ける場所を逡巡した。学校の裏の神社はどうだろう。海のそばの水産加工工場の跡地も良いな。自転車で目的地まで向かう時のあの高揚と耳を切るような風の冷たさを思い出すと、自然と笑みがこぼれた。
神社も水産加工工場の跡地も赤い光に飲み込まれてしまうと、次はどうしよう、その次はどこにしようって、そればかりが頭の中をいっぱいにした。この街で燃やせそうな場所はほぼ燃やしてしまった。どこに行けばリアルに出会えるんだろう。赤い光が消えたらルナも消えてしまう。
夜も眠れなくなり、学校に行くのも億劫になってしまった。それを良いことに、ママはルナをこの窮屈な家の中に閉じ込めた。あんたはもう外出ちゃダメ、一人にすると何をするか分からない。ママは玄関のドアにへばりついて泣いた。私はうなだれるふりをしてリアルの在処を探した。
家の中に閉じこもって一週間、頭の中は赤い光のことしか無かった。ママに話し掛けられても上手く言葉が出て来ない。ごはんも食べられなくなって一日がとても長く感じられた。爪は噛み過ぎて血が滲み、体中を掻きむしって真っ赤っか。みみず腫れが沢山出来て、薄い皮膚の上はいつも熱を持っていた。
頭の中の赤い光を無理矢理消そうとするたびに意識を失くした。我に返ると血まみれの床に寝そべっていることもあった。私の中で何が起こっているのか分からなかった。とにかく光、それだけを求めて家の中を行ったり来たりした。
その日も私はギリギリと歯ぎしりをしながら舌を噛み、自分の腕を鉛筆で引っ掻いて血を流した。光、光が欲しい。ママが買い物に行く隙を狙って外に出てしまおうか。でもこのところママはずっと私を見張るようにして家から一歩も出て行かない。台所でひたすらコーヒーを飲みながら誰かに向かって話し掛けている。そこには誰も居ないよ、ママ。ルナはここに居るのに。
ママが点ける煙草の火を見た瞬間、鳥肌が立った。全身の血が逆流するというのはこんな感じなのかな。点のようなその光が大きく広がって行くことを想像すると、全速力でダッシュしたい気分になった。富士山の頂上から叫びたい気分だ。やっと見付けた!って。
夜、寝ているふりをしてママが眠りに就くのを待った。時計の秒針の音がその瞬間に近付けて行く。目を瞑ると赤い光がパチパチと音を立てた。どうしたらより大きな光を手に入れることが出来るのか、考えているうちに家の中の音が消えた。今だ。
ゆっくりとベッドから降りる。はやる気持ちを抑え、台所に向かうとテーブルの上にママの煙草とライターが豆電球の下、佇んでいた。カチ、カチ。ライターを鳴らすたび、小さな光が手のひらの中で踊る。わくわくしながらリビングに向かう。ママの趣味で整えられた清潔な空間。
私はファンヒーターのオイルタンクを抜き取り、リビングの真っ白なラグの上に撒いた。辺りに広がる油の匂い。ママの焚くアロマオイルの匂いはすぐに掻き消されて、鼻をつく灯油の匂いが興奮を増長させた。灯油で濡れたラグにしゃがみ込んでライターを鳴らす。カチ、カチ。今まで見たことも無い速さで、あっと言う間に光は部屋を照らして行った。笑いが止まらない。窓の外に浮かぶまん丸いお月様よりも明るく輝く私の光。幸福の絶叫を上げながらその場に横になった。燃えろ燃えろ。ママ、ルナはもう泣かないよ。
遠くでママが狂った声を上げている。ルナは黒い煙に乗ってふわふわと月まで浮かんで行くんだ。皮膚がただれるような痛みを覚える。月の上から赤い光を見下ろす。音が全て消えた頃、ルナの中の赤い光が小さな宝石になった。きらきらと光るそれは、何度も見た赤い光そのものだった。これでずっと光が絶えることはないんだ。私はそれをゆっくりと飲み込んだ。
(2010/1)
PR
この記事にコメントする
プロフィール
HN:
原発牛乳
年齢:
40
性別:
女性
誕生日:
1984/09/21
職業:
自由人
趣味:
眠ること
自己紹介:
ただのメモです。
ただのメモです。
ブログ内検索