世界の終わり。
神様、もし神様が存在するのなら、私に飛び込む勇気を下さい。目の前を通過する特急列車に飛び込んで、身も心も散りぢりになってしまえたなら、私はどんなに幸せでしょうか。幾度となく襲い来るそれらの衝動を私の生存本能は否定し、抑制して、私は今日も生きています。生きてしまっています。それが凄く悲しいのです。私はもう消えて居なくなりたい。全てのことから逃げ出したい。生きることが出来ないのなら、もう死ぬしかないのです。でもそれすらも許されない。まさに生き地獄、一体私にこれ以上どうしろと。
絶望し帰路につくと、家の中は時が止まってしまったように朝の風景そのままでした。この家には私の他に誰も居ないこと、私はひとりきりなのだということを思い知らされたようで、涙が出ます。どうしてこんなに苦しいのだろう。悲しいこと、辛いことなんて、今までにも沢山あったはずなのに。学校でお友達だと思っていた女の子に口をきいてもらえなくなった日、朝の出席確認の時に担任から名前を呼ばれなくなった朝、クラスメイトの前で制服を脱がされ裸になったあの日の放課後、その時にも私は泣かなかった。それなのに、たった一人の肉親であった父が居なくなってしまったあの日から、私はひどく涙もろいのです。
父は、私のことをとても可愛がってくれました。過保護と呼んでも良いくらいに私のことを心配し、毎日部屋と鞄とノートのチェック、高校生になってからもお風呂に一緒に入っていました。
年頃になると、父に裸を見せることへの恥じらいが芽生えます。何度かひとりでお風呂に入りたいと訴えたこともありました。しかし、私が拒絶すると、父は泣くのです。泣きながら私を殴り、汚い言葉を浴びせながら服を脱がします。
私は父のお人形でした。そして父の妻であり、恋人でなくてはならなかったのです。父は四六時中私を監視し、私は家の中でひとりになることを許されませんでした。ひとりの時間が欲しい、そう思ったことも何度となくあります。それでも、父が居なくなってしまった今、心の中にぽっかりと空いた穴を支配しているのは父の面影ばかりで、ふとした瞬間にその姿を探してしまうのです。そしてもう二度と私の前に現れることは無い父の影を追い掛け、捕まえることが出来ずに泣いてしまいます。あの日、私に拒絶された父もこんな気持ちだったのでしょうか。
閉め切っていた家中の窓を開けると、夏の夕方の生ぬるい空気が辺りを満たしました。外は薄闇に包まれて、どの家にも淡いあかりが灯されます。父の部屋の畳の上に私は寝転がりました。これからどうしよう。これから、父の居なくなってしまった人生をどうやって生きて行こう。考え付く行き先は、全て暗黒に塗り潰されていました。早いうちにこの世から居なくなってしまわないと、私はもっと深い悲しみに襲われてしまう。どうしようどうしよう。止めどなく涙が溢れます。耳の穴に落ちた一滴の涙は生温かく、いつも私の耳たぶばかりを執拗に触っていた父の指先が思い出されました。目を閉じれば自動的に浮かんでくる父の姿。その顔はいつも怒ったように表情は無く、目はぎらぎらと光っています。父の目が、私は怖かった。じっと見詰めていると食べられてしまいそうだった。そんなことを思いながら、私の涙腺はどんどんどんどん体液を放出します。
ゆっくりと起き上がった私は、自分の部屋の机の引き出しから一本の剃刀を持って、再び父の部屋に寝そべりました。煙草のにおいが染み付いた畳に身を投げて、剃刀を握り天井を見上げます。外はすっかり日暮れて、暗闇にようやく慣れた目がぼんやりと天井の模様を浮かび上がらせます。電灯の笠に触れるように右手を伸ばし、左手に持った剃刀を腕に勢いよく滑らせました。これまでにも何度も傷を付けた腕はそう簡単に破れることもなく、じんわりと滲む程度に血液を体外に押し出すだけで、事態は何も変わりません。鈍い痛みが後からやって来るだけです。
剃刀を右手に持ち直し、今度は左腕に当てました。思い切り引くと、先ほどより遥かに鋭い痛み、それはもう私を我に返らせてしまうほどの痛みで、その痛みを打ち消すかのように私は剃刀を引き続けました。
そのうち、流れた血液が腕を伝って私の上に落ちて来ました。制服が汚れてしまう、でももういいや。窓から差し込む月の光に照らされた血液は黒く、妖艶でうっとりしてしまいます。あの日、父をこの手で殺めてしまった日も、こうして腕を傷付けたものでした。父が愛用していたゴルフクラブで丸い頭を殴り、そう、父が私にしていたように何度も父を殴っているうちに、彼は動かなくなりました。呆気無いものです。私は更に父の首を制服のスカーフで締め上げ、眼球が飛び出すのを確認してからようやく手を離しました。父でなくなってしまった重たい死体は、取り敢えず浴室に運び、水に浸けてあります。父は小柄な人でしたが、それでもひとりで浴室に運び込むのはとても骨の折れる作業でした。
血塗れになった腕を畳の上に投げ出して、私は窓の向こうの大きな月を見上げました。今日は綺麗な満月です。月の光に慣れてしまった目で再び天井を見上げると、そこには何も無く、ただ暗闇が落ちてきただけでした。今ここで首に剃刀を当て横に引いたら私はこの世から消えてしまえるでしょうか。生きることを止められるでしょうか。でもきっと、そんな簡単には行かないのです。だから私は明日も変わらず学校に行き、クラスメイト、否、学校全体からの嫌がらせを受け、絶望しながら線路を見詰めるのです。早く、浴室の死体が腐ってしまうより早く、この世から消えてしまわなければ。気持ちだけが急いてしまい、更に涙が流れました。
寂しい。そう、私は寂しいのです。父の居ないこの世界では、私は孤独です。ひとりは寂しい。今まではずっと父がそばに居てくれたから、私はそんな感情を抱いたこともありませんでした。
私はその場で制服を脱ぎ、下着を畳の上に投げ、剃刀を握って浴室に向かいました。
「お父さん」
冷たい浴槽の中に横たわる父は、刷りガラスの窓から差し込む光でぼんやりと浮かんで見えました。私は片足を浴槽に差し込みます。父の血液が滲んだ赤い水は思ったよりも冷たく、一瞬だけ足を引いてしまいました。しかしここで怯んでしまっては、私はずっとひとりぼっちです。再びその水の中に足をうずめ、腰まで浸かると父に抱き付くようにして上に重なりました。
「お父さん」
何度そう呼んでも、死体になってしまった父からの返事はありません。月の光に照らされた青白い肌に、ゆっくりと剃刀で傷を付けて行きます。もう血は出ません。私の涙は流れ続けます。切り開かれ無残な姿になってしまった父の上で目を瞑ると、ようやくゆっくり眠れる気がしました。
(2010/3)
絶望し帰路につくと、家の中は時が止まってしまったように朝の風景そのままでした。この家には私の他に誰も居ないこと、私はひとりきりなのだということを思い知らされたようで、涙が出ます。どうしてこんなに苦しいのだろう。悲しいこと、辛いことなんて、今までにも沢山あったはずなのに。学校でお友達だと思っていた女の子に口をきいてもらえなくなった日、朝の出席確認の時に担任から名前を呼ばれなくなった朝、クラスメイトの前で制服を脱がされ裸になったあの日の放課後、その時にも私は泣かなかった。それなのに、たった一人の肉親であった父が居なくなってしまったあの日から、私はひどく涙もろいのです。
父は、私のことをとても可愛がってくれました。過保護と呼んでも良いくらいに私のことを心配し、毎日部屋と鞄とノートのチェック、高校生になってからもお風呂に一緒に入っていました。
年頃になると、父に裸を見せることへの恥じらいが芽生えます。何度かひとりでお風呂に入りたいと訴えたこともありました。しかし、私が拒絶すると、父は泣くのです。泣きながら私を殴り、汚い言葉を浴びせながら服を脱がします。
私は父のお人形でした。そして父の妻であり、恋人でなくてはならなかったのです。父は四六時中私を監視し、私は家の中でひとりになることを許されませんでした。ひとりの時間が欲しい、そう思ったことも何度となくあります。それでも、父が居なくなってしまった今、心の中にぽっかりと空いた穴を支配しているのは父の面影ばかりで、ふとした瞬間にその姿を探してしまうのです。そしてもう二度と私の前に現れることは無い父の影を追い掛け、捕まえることが出来ずに泣いてしまいます。あの日、私に拒絶された父もこんな気持ちだったのでしょうか。
閉め切っていた家中の窓を開けると、夏の夕方の生ぬるい空気が辺りを満たしました。外は薄闇に包まれて、どの家にも淡いあかりが灯されます。父の部屋の畳の上に私は寝転がりました。これからどうしよう。これから、父の居なくなってしまった人生をどうやって生きて行こう。考え付く行き先は、全て暗黒に塗り潰されていました。早いうちにこの世から居なくなってしまわないと、私はもっと深い悲しみに襲われてしまう。どうしようどうしよう。止めどなく涙が溢れます。耳の穴に落ちた一滴の涙は生温かく、いつも私の耳たぶばかりを執拗に触っていた父の指先が思い出されました。目を閉じれば自動的に浮かんでくる父の姿。その顔はいつも怒ったように表情は無く、目はぎらぎらと光っています。父の目が、私は怖かった。じっと見詰めていると食べられてしまいそうだった。そんなことを思いながら、私の涙腺はどんどんどんどん体液を放出します。
ゆっくりと起き上がった私は、自分の部屋の机の引き出しから一本の剃刀を持って、再び父の部屋に寝そべりました。煙草のにおいが染み付いた畳に身を投げて、剃刀を握り天井を見上げます。外はすっかり日暮れて、暗闇にようやく慣れた目がぼんやりと天井の模様を浮かび上がらせます。電灯の笠に触れるように右手を伸ばし、左手に持った剃刀を腕に勢いよく滑らせました。これまでにも何度も傷を付けた腕はそう簡単に破れることもなく、じんわりと滲む程度に血液を体外に押し出すだけで、事態は何も変わりません。鈍い痛みが後からやって来るだけです。
剃刀を右手に持ち直し、今度は左腕に当てました。思い切り引くと、先ほどより遥かに鋭い痛み、それはもう私を我に返らせてしまうほどの痛みで、その痛みを打ち消すかのように私は剃刀を引き続けました。
そのうち、流れた血液が腕を伝って私の上に落ちて来ました。制服が汚れてしまう、でももういいや。窓から差し込む月の光に照らされた血液は黒く、妖艶でうっとりしてしまいます。あの日、父をこの手で殺めてしまった日も、こうして腕を傷付けたものでした。父が愛用していたゴルフクラブで丸い頭を殴り、そう、父が私にしていたように何度も父を殴っているうちに、彼は動かなくなりました。呆気無いものです。私は更に父の首を制服のスカーフで締め上げ、眼球が飛び出すのを確認してからようやく手を離しました。父でなくなってしまった重たい死体は、取り敢えず浴室に運び、水に浸けてあります。父は小柄な人でしたが、それでもひとりで浴室に運び込むのはとても骨の折れる作業でした。
血塗れになった腕を畳の上に投げ出して、私は窓の向こうの大きな月を見上げました。今日は綺麗な満月です。月の光に慣れてしまった目で再び天井を見上げると、そこには何も無く、ただ暗闇が落ちてきただけでした。今ここで首に剃刀を当て横に引いたら私はこの世から消えてしまえるでしょうか。生きることを止められるでしょうか。でもきっと、そんな簡単には行かないのです。だから私は明日も変わらず学校に行き、クラスメイト、否、学校全体からの嫌がらせを受け、絶望しながら線路を見詰めるのです。早く、浴室の死体が腐ってしまうより早く、この世から消えてしまわなければ。気持ちだけが急いてしまい、更に涙が流れました。
寂しい。そう、私は寂しいのです。父の居ないこの世界では、私は孤独です。ひとりは寂しい。今まではずっと父がそばに居てくれたから、私はそんな感情を抱いたこともありませんでした。
私はその場で制服を脱ぎ、下着を畳の上に投げ、剃刀を握って浴室に向かいました。
「お父さん」
冷たい浴槽の中に横たわる父は、刷りガラスの窓から差し込む光でぼんやりと浮かんで見えました。私は片足を浴槽に差し込みます。父の血液が滲んだ赤い水は思ったよりも冷たく、一瞬だけ足を引いてしまいました。しかしここで怯んでしまっては、私はずっとひとりぼっちです。再びその水の中に足をうずめ、腰まで浸かると父に抱き付くようにして上に重なりました。
「お父さん」
何度そう呼んでも、死体になってしまった父からの返事はありません。月の光に照らされた青白い肌に、ゆっくりと剃刀で傷を付けて行きます。もう血は出ません。私の涙は流れ続けます。切り開かれ無残な姿になってしまった父の上で目を瞑ると、ようやくゆっくり眠れる気がしました。
(2010/3)
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HN:
原発牛乳
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40
性別:
女性
誕生日:
1984/09/21
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自由人
趣味:
眠ること
自己紹介:
ただのメモです。
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