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世界の終わり。
2024年05月21日 (Tue)
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2010年01月09日 (Sat)

 ぬくもりが消えた瞬間を覚えている。私はお尻からツツジの植え込みに墜落し、ハルは頭からコンクリートに突き刺さった。ずっと繋いでいた手のひらが離ればなれになる時、ハルは私の手のひらをきゅっと握った。それが最期の合図だった。もう少し発見が遅かったら私もハルと一緒に行けたのに。
 夕暮れ時の時間帯、面会から帰る人々を屋上から眺めながら、いつものようにハルは言った。
「このまま飛べたら良いのになあ」
 夕日に照らされた横顔からは、表情を読み取ることが出来なかった。笑っていたのか、泣いていたのか、私が立っている場所からは陰になって見えない。
 飛べるよ、一緒に飛んであげるから怖くなんてないよ。私が何度そう言ってもくしゃくしゃの笑顔で頭を撫でるだけだったのに、その日は違った。
「本当に、一緒に飛んでくれる?」
 真剣な、今にも泣き出しそうな顔でハルは言った。声が少し震えていた。
「いいよ」
 ハルはぎゅっと私を抱き締めて「ありがとう」とだけ言った。私たちに言葉は無く、ただ淡々と、屋上の高い柵を越えた。恐怖は無かった。これで楽になれる。我儘な両親から、理不尽な校則から、苦痛に顔を歪めるハルの姿から。
 ぎらぎらと照り付ける夕日が眩しくて、何度もまばたきをした。その度に耳鳴りがしたのは、二人だけの世界の終わりを知らせていたからかも知れない。ハルと私の手のひらはきつく結ばれて、せーの、で飛んだ。セーラー服のリボンが鼻の頭に当たってくすぐったかった。パンツ見えるかも。ハルにすら見せてないのに、なんて。
 次の瞬間、ハルの手のひらが離れた。私は必死になって空を探ったけれど、その時にはもう腰から下が動かなかった。誰かの悲鳴と慌ただしい足音。夕焼けこやけのメロディ。ハルはもう私が知っているハルではなくて、ただの赤い肉の塊がそこにあった。私はただの有機物になってしまったハルを眺めた。真っ赤な夕日に染まった、ハルだった体。眩しくてまた目を閉じた。耳鳴りはもうしなかった。
 硬いベッドの上で目を覚ますと、辺りは真っ白な世界だった。天井も、カーテンも、シーツも、見たことがないくらいに真っ白で、何だか私はここに居てはいけないような気がした。鼻先でふっと笑うと、ママは怯えた目でこちらを見た。パパは窓際に立って携帯電話を操作している。ベッドに縛り付けられて、体が動かない。全身に痺れたような感覚。
「何てことをしたの…」
 ママはベッドに突っ伏して泣いた。白々しいくらいに薄っぺらな泣き声は、真っ白な世界の空を舞った。パパは窓の外を見ている。そこにある何もかもを視界に入れないようにしているようだった。
 笑うしかなかった。頬を動かすと突っ張るような痛み。顔も切ったんだ。皮膚を破る音と、乾いた笑い声。見開いた両眼は白い天井のシミを探す。化け物を見るような眼で私を見る両親と、私はこれからどうやって生きて行けば良いのだろう。
 白いベッドの上で、何ヶ月も過ごした。体はまだ完璧ではないけれど、いつの間にか勝手に動くようになった。どれだけ笑っても皮膚を破る音はもう聞こえない。白い部屋に音は無くて、何度もハルが耳元で「ありがとう」と囁いた。
 窓の外、夕焼けこやけのメロディが流れる時刻になると、セーラー服の少女が降ってくる。毎日毎日、同じタイミングで、赤いスカーフで顔を半分隠しながら、手首から先だけの恋人を連れて彼女は降ってくる。目が合うと彼女はにやっと笑う。とても幸せそうな顔で。
 彼女の姿を確認すると私は目を瞑り、あの日の夕日をまぶたの裏で上映する。耳の穴に生ぬるい涙が流れ込む頃、ようやくハルの顔を思い出した。パンツくらい見せてあげれば良かったな、なんて笑う。白い部屋が真っ赤に染まる。
 少女の顔を自分にすり替えて、鼻の頭に触れる。ぐちゃぐちゃに潰された肉の塊がそこにはある。血にまみれた指で鋭い痛みを撫でることを想像すると、よく眠れるのだ。幸福な溜息を吐いてゆっくりと目を瞑る。そこにはあの日の夕日がまだ広がっている。


(2010/1)

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プロフィール
HN:
原発牛乳
年齢:
39
性別:
女性
誕生日:
1984/09/21
職業:
自由人
趣味:
眠ること
自己紹介:

ただのメモです。


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