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世界の終わり。
2025年03月15日 (Sat)
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2010年06月26日 (Sat)

 鋭い痛みが広がるにつれ、思わず、あ、と声を漏らした。その声に呼応するかのように痛みはどんどん強くなる。
「痛くない?」
「うん、痛い」
 彼女は再度僕の肩に歯を立てる。目をつぶると白い世界が広がって、射精する寸前のような、どうにももどかしい気分になる。
 その痛みは僕が欲したものだった。彼女には「恋人の肩の肉を噛む」という獣みたいな癖がある。最初それを聞いた時は驚き、少し引いてしまったものだが、今ではすっかり僕の方がその痛みに取り憑かれている。

 翌朝、じんわりと残る肩の痛みで目が覚めた。鏡でその部分を見てみると、彼女の歯の形がくっきりとそこに並んでいる。手を当てると少し熱い。そして彼女の柔らかい体、おどおどした瞳、高い声の細部までもが急速に思い出され、僕は自慰に耽った。頂が近付けば近付くほどに、肩の痛みは強くなる。射精の瞬間を迎えると、どくどくと溢れ出る精液の鼓動に合わせて熱は引いて行った。床に寝転がり目を閉じると、はにかんだ彼女の顔が呼吸と共に浮かんでは消えた。

 僕の仕事と彼女の就職活動が忙しくなったのは同時期で、会えない日々が続いた。電話越しに
「君の肩、噛みたいなあ」
 と寂しそうな声を聞くたびに、僕の左肩はずきんと痛んだ。歯型はもうとっくに消えていたけれど、痛みは時々記憶と共に蘇る。電話を切ると、僕はまた自慰を始めた。このところ毎日だった。あの痛みが忘れられない。忘れたくないから思い出すために自慰をしている。そんな日々が過ぎて行った。

 ある朝着替えようとして、僕は鏡の中の自分の変化に驚いた。左肩の、ちょうどその部分だけが、彼女の歯の形に合わせて楕円に凹んでいる。手を当ててみたが、骨に異常があるわけでも皮膚が破れているわけでもない。ただそこにぽっかりと窪みが出来ているのだ。
 その窪みは、自慰を重ねるたびに深くなって行った。早く彼女に会って肩を噛んでもらわないと、僕の体に穴が開いてしまうかも知れない。
 僕は彼女に電話をして会う約束を取り付けようとした。しかしその日に限って電話が繋がらない。なんだか悲しくなって、僕は泣いてしまった。涙を流したのなんて、高校三年生の野球部の引退試合で負けた時以来だ。
 ばかみたいな声を上げて泣きながら、僕は左肩の重さに気付いた。首をひねっても死角になって見えないそこは、手をやると指先が生ぬるい水で濡れた。窪みの中から涙が湧いているようだった。

「昨日携帯忘れて泊まりに行っちゃった。どうしても会いたくなったからその足で来ちゃったよ」
 玄関で子どもみたいにいたずらな笑顔を浮かべる彼女を思わず抱き締めると、左肩にあの甘い痛みが広がった。
「ごめんね、またいっぱい噛ませてね」
 僕は、あ、と声を漏らした。そして彼女が洟をすする音を聞いた。いや、あれは窪みに湧いた涙をすすっていたのかも知れない。肩から口を離すと、彼女は
「ごちそうさま」
 と言って笑った。



(2010/6)
 

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2010年06月26日 (Sat)

 板張りの縁に寝転がり目を閉じると、まぶたの薄い皮膚の隙間から漏れて来る強い光で視界が赤く広がる。ところどころに黒い点、眼球を移動させるとそれはその先々について来て、まぶたの中で目を閉じてしまいたい衝動に駆られる。
「また寝とるんか」
 蝉の大合唱に混じって低い声が上から落ちて来る。眩しくてまぶたが開かない。仕方なく体を起こすと、汗と一緒に全身を倦怠感が流れた。
「邪魔、どけや」
 十年前は小さな小学生だった弟は現在思春期真っ盛りで、女の子みたいに可愛らしかった当時の面影はまるでない。死んだ父に似たのか、身長はゆうに180センチを超えている。母親を「ババア」と呼ぶほどにたくましい男に育った。
「十年ぶりに帰ってきたんよ、ちょっとくらいゆっくりさせてや」
「ゆっくりし過ぎじゃボケ」
 先週号のジャンプを枕にして、成長し過ぎた弟の体が縁の上を独占する。
「ちょっと、邪魔はどっちなん」
 爪先で分厚い脇腹を小突くと、顔の上に今週号のヤンマガを載せた弟が鼻先でふっと笑う。
「ここは俺の家やからええんや。十年も家に帰って来んかった女が何抜かす」
 口を動かすたびにヤンマガも少しずつ動く。その上に、さっきまで私が使っていたそばがらの枕を勢いよくのせた。
「何すんじゃボケ! 死ぬで!」
「勝手に死んだらええんちゃう」
 観念したように弟は廊下の奥へ消えて行った。私は再び横になる。板張りはぬるく、紫外線が全身を攻撃しているのを皮膚で感じる。蝉の声が遠のいて行き、赤い闇が落ちてくる。

 父の初盆は昨日終わった。葬式には出なかった。私は父が好きでも嫌いでもなかったし、それより母が
「あんたは血繋がっとらんのやで、別に無理して来んでもええよ。色々めんどくさいこと言われるしな」
 と言ってくれたから出なかった。辛うじて私の居場所だった二階の四畳半は、今は受験生になった弟の部屋になっている。

「おい、やっぱそこどけ」
 父のサングラスを手に、弟が戻って来た。もう片方の手には凍らせたチューペット。
「あー、ずるい! 半分ちょうだいよ」
「アホ、自分で行け」
 サングラスをかけ、私の横に座りこんで白い棒をかじる弟は、狭い、邪魔、と言いながら私の体を軽い力で蹴る。
「おっそろしく似合わんなあ、それ」
「黙れ」
 チューペットから落ちたしずくが板張りの床を濡らす。サングラスをかけた弟は、どこか父に似ている気がする。
「なあ、スイカ食べたいなあ」
 自分の喋り方が、いつの間にか母に似てきていることにも気付いて驚く。
「チューペットでもええなあ、それ、うまそうやなあ」
「うざい、黙れ」
 低い声を鼓膜で受け止めながら目を閉じる。太陽の下で眠るのなんて、何年ぶりだろうか。
 ぱらり、と漫画をめくる音が耳に心地よい。夕方になったらスイカを買いに行こう。赤い闇はスイカの果肉の色だ。再度、蝉の声が遠くなる。



(2010/6)

 

2010年06月26日 (Sat)

 私の番が回って来た。前髪の先から落ちる水の粒を見て知る。
「きゃははははは」
「調子乗ってんじゃねーよバーカ!」
 聞き覚えのある声。それからバケツが床を転がる乾いた音、ドアを蹴る轟音、遠ざかる足音、耳鳴り。昼休みが終わるチャイムが鳴るまで動けなかった。泣くことも出来ず、ひたすら便器の前に佇んでいた。
 ターゲットは定期的に変わる。クラスの女子十八人のうち、順番が回って来ないのは教祖であるリエ一人だけ。そう、これはある種の宗教だ。絶対的な力によって動かされる、思考外の行動、独裁政権。リエはいつもにやにや笑っている。自分の手は汚さない。昨日までは私もリエの政権下で違う女子を傷付けていた。今は逆の立場だ。
「いい気味だよね」
 教室に入った途端、会話が止まった。昨日までターゲットだったミホは、私と目が合うとすぐに視線を逸らした。
 こうして儀式が始まる。教祖の教えに背いたが最後、卒業まで永久に追放される。存在は無きものとされ、誰とも話せない。いじめという一辺倒な儀式を受けることよりも関わりを持てないことの方が怖い私たちは、教祖に逆らうことなど出来ない。ターゲットでいることは永遠じゃない、終わりがある。教祖はそれを見て楽しむ。一人だけ。
 その日も私は窮地に立っていた。教室の窓の外に下げられたリエの体操袋を取りに行かなければいけない。私は高所恐怖症で、ここは四階だ。雨まで降っている。窓から身を乗り出して、ようやく袋に届くかどうか。私は涙を浮かべながら許しを乞うた。教祖は首を横に振る。信者は罵声を浴びせる。いつもの光景。大人たちの知らない世界。
 どんよりと垂れ込めた灰色の雲が、私の気持ちを更に暗くさせる。昨日は手を使わずにリエのスリッパを洗った。その前は英語の授業中ずっと掃除道具入れの中に監禁されていた。雑巾のにおいがまだ髪の毛にこびりついている気がする。いつまで続くのだろう。これが終わっても、またいつ順番が回ってくるか分からない恐怖に怯えて生活をしなければならない。生き地獄だ。頭の下のアスファルトを見つめて思う。
「こら! 何をしている!」
 教室の外から声が響いて救世主が現れた。いつもは大嫌いな体育の宮村だけど、助けてくれるなら今は誰でも良い。蜘蛛の子を散らすように皆窓から一斉に離れる。
「松尾、お前いい加減にしろよ」
 いきなり名前を呼ばれたリエは、恐怖に満ちた表情を浮かべながら教室の外に飛び出した。追い掛ける救世主、逃げる教祖。運が良かったのか悪かったのか、廊下は雨でひどく濡れていた。
「いつまでも調子乗ってんじゃねーぞ!」
 不良少年のような救世主の叫びに続いて、湧き上がる悲鳴。リエは階段から足を滑らせて落ちた。更に運が悪く、踊り場のコンクリートで思い切り頭を打った。
 教祖が死んだことを聞かされたのは翌日になってからだった。救世主は学校を辞めた。もう順番が回ってくることはなかった。



(2010/5)
 

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誕生日:
1984/09/21
職業:
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眠ること
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ただのメモです。


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