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世界の終わり。
2024年05月21日 (Tue)
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2010年12月07日 (Tue)

 紫色の太陽が教室を照らしていた。乱視用の分厚い眼鏡越しに見る児童たちは皆黒く焼け焦げていて、思わず自分の体を確認してしまったほどだ。私の体に異常は何もなかった。スーツの裾が少しほつれていたけれど、これは大分前からのものだった。切っても切っても糸が飛び出してくる。
「ちゃんと縫わないとだめなんですよ」
 そう言った妻の顔を思い出そうと必死に記憶の回路を辿るが、いつまで経っても妻の顔には目がなく、鼻もなく、口も耳も眉もなかった。真っ平らな顔は黒く塗りつぶされていた。
 私は教卓を離れ、教室の中を歩く。紫色の太陽は黒く焦げた子どもたちを容赦なく照らし、教室の中は物体が焦げたにおいとは別に、ポリエステルの洋服が、髪の毛が、人体が焼けた独特のにおいで満ちている。私が愛する死体のにおいとはまた違う、嫌いではないがあまり受け付けないにおい。
 窓を開けると、紫色だったはずの太陽がじんわりと赤みを帯びているのが分かった。先ほどまで降っていた雪は既に溶け始め、赤紫色となった太陽に照らされ赤い水たまりを作っている。
 深呼吸をした。冷たい空気が肺に満ちると、吐き気がした。耐えきれず、そのまま窓の下に吐瀉してしまう。給食のトマトスープとフルーツヨーグルトが混じった、桃色の吐瀉物がアスファルトの上を汚した。
「先生大丈夫?」
 思わぬ声に胃袋の収縮が大きくなった。大量の血液が吐瀉物の上に落ちる。
「……大木?」
 声の主は大木という児童だった。授業中、お腹が痛いと言って保健室に行ったはずだった。
「お腹は、いいのか?」
 口のまわりを手の甲でぬぐいながら大木に問う。よく見ると大木は大木でないような、妙な違和感があった。
「お腹? 何のこと? それより何でみんな死んでるの?」
 どうやら私の目の前に立っているのは、五年一組の、弟の方の大木のようだ。私が受け持っている兄の方の大木は、弟とは対照的に大人しく真面目で、決して私にこんなくだけた話し方をしない。
「ねえ、何でみんな真っ黒になってるの? 死んじゃったの? ナツキは?」
 ナツキというのは兄の名前だ。大木は私のスーツをつかみ、なんで、なんで、と嗚咽を漏らした。
「お兄さんなら保健室に行ったよ」
 黒い髪の毛に手をのせ、ぽんぽんとたたく。大木は顔を上げ、一気に明るくなった表情で嬉しそうな声を上げた。
「本当!?」
「うん。授業中にお腹が痛いと言って保健室に行ったんだ。だからまだ保健室にいると思う」
 大木は安堵の表情を見せた。
「良かったあー」
 大木は胸に手を当て、大げさに息を吐いた。そして、時間をかけてその表情は歪んでいった。私は男子の割に細いその首に両手をかけ、ゆっくりと力を込める。一体ぜんたい何が何だかわからない、異常な世界で唯一見つけたまともであろう人間に首を絞められて死ぬというのは、どれほどの困惑を招くのだろう。私はとても愉快な気持ちになって、わざと少しずつ力を加えていった。
「……っごぇっ…ぶっ……ぼ……」
 色白の、子ども特有のすべすべした肌が、赤く染まっていく。いつの間にか声を出して笑っている自分に気が付いた。大木の体が力なくしなだれ、赤い顔が白色に戻っても、私は大木の首を絞め続けた。このままひねれば首が取れてしまいそうな気もした。
 手を離すと呆気なく崩れ落ちた。足元に転がった、大木だった塊を見て、私は今日と同じように雪が降った日のことを思い出していた。

 十二年前のことだ。今日のように朝からひどく冷え込んでいた日で、そのとき私はまだ教育実習生だった。卒業した高校で、二週間だけ数学の授業を教えていた。その頃はまだ小学校の教員になるつもりはなく、高校で数学を教えたいと思っていたのだ。
「桜井先生って彼女とかいるんですか? 先生と仲良くなりたいです」
 一人の女子生徒から小さく折りたたまれたメモ紙を、授業を終えて教室を出た直後に渡された。ポニーテールのよく似合う、小柄な、可愛らしい子だった。確かバレー部に所属していて、天野という名前だった。
 実習のレポートを書き、翌日の準備をし、帰ろうとしたときに雪が降ってきた。二十二年間生きて来て、それが初めて見た雪だった。白くはらはらと儚げに舞うそれは、手のひらの上ですぐに溶けてなくなった。ひたすら雪に手を差し出す私の背後で、くすくすと笑う声が聞こえる。天野だった。
「笑うなよ」
 恥ずかしくなって愛想も何もなしに呟いた。天野はまだおかしそうに笑っていた。
 私は昼間受け取ったメモ紙のことを思い出した。それまでは天野のことなど一切気にしたことが無かったし、教育実習の内容で毎日頭が混乱していて、それどころではなかった。メモ紙も、申し訳ないと思いつつ小さく破って職員室のゴミ箱に捨てた。
「先生って、意外とかわいいところあるんですね」
 天野の声はころころと跳ねるようにして鼓膜に届いた。その声は、私の中にあったひとつのつぼみを開花させるのに十分すぎるほどの湿り気を帯びた、美しい声だった。
 私は天野に近付き右手を伸ばした。大きな両の瞳は不思議そうに私を見つめていたが
「傘入れてくれない? 仲良くなりたいんでしょう?」
 そう言うと顔を真っ赤にして嬉しそうにうなずいた。
 ぼたぼたと傘の上に落ちてくる雪の中を、取りとめのない話をしながら歩いた。天野は東北の出身で、小学生のころまでは毎年雪を見ていたという。
「東北の雪はもっとパサパサしてるんです。こっちの雪はなんか、ベトベトしてるっていうか……」
 傘に落ちる雪の音が異常に大きくて、ほとんど聞き取ることは出来なかった。それでも、天野の耳が異常なくらい赤く染まっているのはよくわかった。寒さのせいか、それとも。
 私たちは海岸に沿って歩いた。海は荒れていたが、ねずみ色の空の中を舞う雪が白い波に飲み込まれていく様は、純粋に綺麗だと思った。
「ちょっと休んでかない? あったかいものおごるよ」
 夏になると海の家が並ぶこの辺りの海岸には、使っていない古い小屋がいくつも建っていた。私は時々その小屋の中で一夜を過ごすことがあった。実家に自分の部屋がなかったということもあるが、それ以外に特に深い意味があるわけでもない。波の音だけが聞こえる、明かりも何もない暗い部屋の中で寝転がっていると、今はもう思い出したくないことや、嫌な記憶から逃げ出すことが出来た。無心になって波が打ち寄せる回数だけを数えていれば、小学生の頃のいじめも、母親の失踪も、祖父の自殺も、すべて無かったことに出来た。
 私たちは潮風に当たり錆びてしまった古い自販機であたたかい缶コーヒーを二本買い、小屋の中に腰を下ろした。
「意外と綺麗でしょ? 寒くないし」
 私がそう言うと天野は、はい、とにこにこしながら答えた。缶コーヒーで意味もなく乾杯をして、私たちはまたどうでも良い話の続きをした。雪が当たらないせいか、先ほどよりも天野の声はよく聞こえた。
「先生、今日はなかなか暗くなりませんね」
 今となっては何がきっかけだったかは分からない。その声がきっかけだったのかも知れない。
 言われてみれば、と小さな窓から外を覗くと、雪はいつの間にか止み、紫色の太陽が海を照らしていた。時計を見ると、午後六時を回ったところだった。
 隣に立ち、同じように窓の外を眺めている天野の耳たぶに触れると、思いのほか冷たかった。天野は驚いた表情で一瞬身じろぎをしたが、すぐにすべてを覚悟したかのような顔でゆっくりと目を閉じた。
 首に巻かれたマフラーを力いっぱい締め上げる。両手が私のコートに触れたが、しばらくすると体は芯を失ったようにだらしなく伸びた。閉じていたはずの目は思いがけない裏切りにより大きく見開き、声にならない声が私の名前を呼んでいた。
 生まれて初めて雪を見た日に、私は初めて人を殺した。雪のせいだった、というのはきっと言い訳として通用するものではないだろう。しかし、雪が降らなければ私はきっと天野を殺すことはなかった。
 マフラーを離すと、天野は大きな音を立てて床に崩れ落ちた。捲くれたスカートから突き出した白い脚に、私は興奮を覚えた。もう二度と動かない天野の上に馬乗りになり、頭のてっぺんから足の先まで執拗ににおいを嗅いだ。首筋を舌で舐め上げると、うっすらと塩味のきいた死人の肌の味がした。まだぬくもりの残る天野の膣内を指で掻き混ぜる。私はその行為だけですぐに射精してしまった。
 いつの間にか辺りは闇に沈み、私はその夜、家に帰らず天野の死体と過ごした。死体を抱きしめて眠り、小屋の中に差し込む朝日で目が覚めた。隣で横になっている天野の死体を見ると、私はまたすぐに欲情した。硬くなり始めた体に無理矢理私自身をねじ込み、射精した。閉じた襞の中から精液が垂れてくるのを見て少しだけ我に返り、脚を閉じ、脱がせた制服を死体の上に被せた。
 前日の昼から何も食べていなかったせいか、無性に腹が減っていた。私は天野を食べることにした。小屋に置かれていた斧で頭部、両腕、両脚を切り落とす。細かく切断したあと、持っていたライターであぶって少しずつ口に含んだ。今まで食べたことのない味が脳内を駆け巡り、飲み込むと胃袋の中で暴れるように熱を持った気がした。
 それから私は長い時間をかけて天野を食べた。腹が膨れても構うことなく、口の中に目一杯突っ込み、咀嚼して飲み下した。
 体を全て食べてしまったあと、頭部はしばらくの間部屋の隅に飾っておいた。
「ただいま」
 そう声を掛ければ
「おかえりなさい」
 と返ってくる気がして、大きく目を見開いたままの天野の頭を何度も撫でた。

 足元に転がっている大木の死体を見ても欲情はしないが、さっき吐いてしまったせいもあるのか腹がぐうと鳴った。あれ以来、私は人の味を覚えてしまった。図工室に行けばのこぎりがあるだろう。子どもの肉はまだ食べたことがない。どんな味がするのだろう。
 私は図工室に向かおうと、教室の扉を開けた。廊下には五年一組の児童の頭が転がっており、半分だけ開いた扉からは血まみれの子どもたちが重なって飛び出していた。
 私は高鳴る胸を抑えきれず、扉の中をのぞいた。五年一組の教室はまさに地獄絵図と呼ぶにふさわしく、首の無い子どもたちが様々な方向を向いて横たわっていた。一歩中に入ると血のにおいで鼻腔がぶるぶると震え、喜びを表現した。
 足元の血だまりをぴちゃぴちゃと踏みしめながら教室を一周する。窓のそばに黒い大きな塊が転がっていた。よく肥えたその塊は、五年一組の担任の山田先生のようだった。背中には私のクラスの大木がしがみついていた。私はしゃがんで大木の頭を撫でる。焦げた髪の毛が指に絡まってぱらぱらと床に落ちた。
 その目線の先に、鎌を持った女子児童の死体が転がっていた。名札を見ると「天野」と書いてある。私は首の無い少女を抱き上げ頭を探した。三年生の時に担任を持っていたから、天野の顔は知っている。それはすぐに見つかった。
 十二年前の天野の顔と少女の顔が、今重なる。私は再び腰を下ろし、天野の服を脱がし始めた。



(2010/12)

 

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1984/09/21
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