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世界の終わり。
2024年05月21日 (Tue)
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2010年12月07日 (Tue)

 紫色の太陽が教室を照らしていた。乱視用の分厚い眼鏡越しに見る児童たちは皆黒く焼け焦げていて、思わず自分の体を確認してしまったほどだ。私の体に異常は何もなかった。スーツの裾が少しほつれていたけれど、これは大分前からのものだった。切っても切っても糸が飛び出してくる。
「ちゃんと縫わないとだめなんですよ」
 そう言った妻の顔を思い出そうと必死に記憶の回路を辿るが、いつまで経っても妻の顔には目がなく、鼻もなく、口も耳も眉もなかった。真っ平らな顔は黒く塗りつぶされていた。
 私は教卓を離れ、教室の中を歩く。紫色の太陽は黒く焦げた子どもたちを容赦なく照らし、教室の中は物体が焦げたにおいとは別に、ポリエステルの洋服が、髪の毛が、人体が焼けた独特のにおいで満ちている。私が愛する死体のにおいとはまた違う、嫌いではないがあまり受け付けないにおい。
 窓を開けると、紫色だったはずの太陽がじんわりと赤みを帯びているのが分かった。先ほどまで降っていた雪は既に溶け始め、赤紫色となった太陽に照らされ赤い水たまりを作っている。
 深呼吸をした。冷たい空気が肺に満ちると、吐き気がした。耐えきれず、そのまま窓の下に吐瀉してしまう。給食のトマトスープとフルーツヨーグルトが混じった、桃色の吐瀉物がアスファルトの上を汚した。
「先生大丈夫?」
 思わぬ声に胃袋の収縮が大きくなった。大量の血液が吐瀉物の上に落ちる。
「……大木?」
 声の主は大木という児童だった。授業中、お腹が痛いと言って保健室に行ったはずだった。
「お腹は、いいのか?」
 口のまわりを手の甲でぬぐいながら大木に問う。よく見ると大木は大木でないような、妙な違和感があった。
「お腹? 何のこと? それより何でみんな死んでるの?」
 どうやら私の目の前に立っているのは、五年一組の、弟の方の大木のようだ。私が受け持っている兄の方の大木は、弟とは対照的に大人しく真面目で、決して私にこんなくだけた話し方をしない。
「ねえ、何でみんな真っ黒になってるの? 死んじゃったの? ナツキは?」
 ナツキというのは兄の名前だ。大木は私のスーツをつかみ、なんで、なんで、と嗚咽を漏らした。
「お兄さんなら保健室に行ったよ」
 黒い髪の毛に手をのせ、ぽんぽんとたたく。大木は顔を上げ、一気に明るくなった表情で嬉しそうな声を上げた。
「本当!?」
「うん。授業中にお腹が痛いと言って保健室に行ったんだ。だからまだ保健室にいると思う」
 大木は安堵の表情を見せた。
「良かったあー」
 大木は胸に手を当て、大げさに息を吐いた。そして、時間をかけてその表情は歪んでいった。私は男子の割に細いその首に両手をかけ、ゆっくりと力を込める。一体ぜんたい何が何だかわからない、異常な世界で唯一見つけたまともであろう人間に首を絞められて死ぬというのは、どれほどの困惑を招くのだろう。私はとても愉快な気持ちになって、わざと少しずつ力を加えていった。
「……っごぇっ…ぶっ……ぼ……」
 色白の、子ども特有のすべすべした肌が、赤く染まっていく。いつの間にか声を出して笑っている自分に気が付いた。大木の体が力なくしなだれ、赤い顔が白色に戻っても、私は大木の首を絞め続けた。このままひねれば首が取れてしまいそうな気もした。
 手を離すと呆気なく崩れ落ちた。足元に転がった、大木だった塊を見て、私は今日と同じように雪が降った日のことを思い出していた。

 十二年前のことだ。今日のように朝からひどく冷え込んでいた日で、そのとき私はまだ教育実習生だった。卒業した高校で、二週間だけ数学の授業を教えていた。その頃はまだ小学校の教員になるつもりはなく、高校で数学を教えたいと思っていたのだ。
「桜井先生って彼女とかいるんですか? 先生と仲良くなりたいです」
 一人の女子生徒から小さく折りたたまれたメモ紙を、授業を終えて教室を出た直後に渡された。ポニーテールのよく似合う、小柄な、可愛らしい子だった。確かバレー部に所属していて、天野という名前だった。
 実習のレポートを書き、翌日の準備をし、帰ろうとしたときに雪が降ってきた。二十二年間生きて来て、それが初めて見た雪だった。白くはらはらと儚げに舞うそれは、手のひらの上ですぐに溶けてなくなった。ひたすら雪に手を差し出す私の背後で、くすくすと笑う声が聞こえる。天野だった。
「笑うなよ」
 恥ずかしくなって愛想も何もなしに呟いた。天野はまだおかしそうに笑っていた。
 私は昼間受け取ったメモ紙のことを思い出した。それまでは天野のことなど一切気にしたことが無かったし、教育実習の内容で毎日頭が混乱していて、それどころではなかった。メモ紙も、申し訳ないと思いつつ小さく破って職員室のゴミ箱に捨てた。
「先生って、意外とかわいいところあるんですね」
 天野の声はころころと跳ねるようにして鼓膜に届いた。その声は、私の中にあったひとつのつぼみを開花させるのに十分すぎるほどの湿り気を帯びた、美しい声だった。
 私は天野に近付き右手を伸ばした。大きな両の瞳は不思議そうに私を見つめていたが
「傘入れてくれない? 仲良くなりたいんでしょう?」
 そう言うと顔を真っ赤にして嬉しそうにうなずいた。
 ぼたぼたと傘の上に落ちてくる雪の中を、取りとめのない話をしながら歩いた。天野は東北の出身で、小学生のころまでは毎年雪を見ていたという。
「東北の雪はもっとパサパサしてるんです。こっちの雪はなんか、ベトベトしてるっていうか……」
 傘に落ちる雪の音が異常に大きくて、ほとんど聞き取ることは出来なかった。それでも、天野の耳が異常なくらい赤く染まっているのはよくわかった。寒さのせいか、それとも。
 私たちは海岸に沿って歩いた。海は荒れていたが、ねずみ色の空の中を舞う雪が白い波に飲み込まれていく様は、純粋に綺麗だと思った。
「ちょっと休んでかない? あったかいものおごるよ」
 夏になると海の家が並ぶこの辺りの海岸には、使っていない古い小屋がいくつも建っていた。私は時々その小屋の中で一夜を過ごすことがあった。実家に自分の部屋がなかったということもあるが、それ以外に特に深い意味があるわけでもない。波の音だけが聞こえる、明かりも何もない暗い部屋の中で寝転がっていると、今はもう思い出したくないことや、嫌な記憶から逃げ出すことが出来た。無心になって波が打ち寄せる回数だけを数えていれば、小学生の頃のいじめも、母親の失踪も、祖父の自殺も、すべて無かったことに出来た。
 私たちは潮風に当たり錆びてしまった古い自販機であたたかい缶コーヒーを二本買い、小屋の中に腰を下ろした。
「意外と綺麗でしょ? 寒くないし」
 私がそう言うと天野は、はい、とにこにこしながら答えた。缶コーヒーで意味もなく乾杯をして、私たちはまたどうでも良い話の続きをした。雪が当たらないせいか、先ほどよりも天野の声はよく聞こえた。
「先生、今日はなかなか暗くなりませんね」
 今となっては何がきっかけだったかは分からない。その声がきっかけだったのかも知れない。
 言われてみれば、と小さな窓から外を覗くと、雪はいつの間にか止み、紫色の太陽が海を照らしていた。時計を見ると、午後六時を回ったところだった。
 隣に立ち、同じように窓の外を眺めている天野の耳たぶに触れると、思いのほか冷たかった。天野は驚いた表情で一瞬身じろぎをしたが、すぐにすべてを覚悟したかのような顔でゆっくりと目を閉じた。
 首に巻かれたマフラーを力いっぱい締め上げる。両手が私のコートに触れたが、しばらくすると体は芯を失ったようにだらしなく伸びた。閉じていたはずの目は思いがけない裏切りにより大きく見開き、声にならない声が私の名前を呼んでいた。
 生まれて初めて雪を見た日に、私は初めて人を殺した。雪のせいだった、というのはきっと言い訳として通用するものではないだろう。しかし、雪が降らなければ私はきっと天野を殺すことはなかった。
 マフラーを離すと、天野は大きな音を立てて床に崩れ落ちた。捲くれたスカートから突き出した白い脚に、私は興奮を覚えた。もう二度と動かない天野の上に馬乗りになり、頭のてっぺんから足の先まで執拗ににおいを嗅いだ。首筋を舌で舐め上げると、うっすらと塩味のきいた死人の肌の味がした。まだぬくもりの残る天野の膣内を指で掻き混ぜる。私はその行為だけですぐに射精してしまった。
 いつの間にか辺りは闇に沈み、私はその夜、家に帰らず天野の死体と過ごした。死体を抱きしめて眠り、小屋の中に差し込む朝日で目が覚めた。隣で横になっている天野の死体を見ると、私はまたすぐに欲情した。硬くなり始めた体に無理矢理私自身をねじ込み、射精した。閉じた襞の中から精液が垂れてくるのを見て少しだけ我に返り、脚を閉じ、脱がせた制服を死体の上に被せた。
 前日の昼から何も食べていなかったせいか、無性に腹が減っていた。私は天野を食べることにした。小屋に置かれていた斧で頭部、両腕、両脚を切り落とす。細かく切断したあと、持っていたライターであぶって少しずつ口に含んだ。今まで食べたことのない味が脳内を駆け巡り、飲み込むと胃袋の中で暴れるように熱を持った気がした。
 それから私は長い時間をかけて天野を食べた。腹が膨れても構うことなく、口の中に目一杯突っ込み、咀嚼して飲み下した。
 体を全て食べてしまったあと、頭部はしばらくの間部屋の隅に飾っておいた。
「ただいま」
 そう声を掛ければ
「おかえりなさい」
 と返ってくる気がして、大きく目を見開いたままの天野の頭を何度も撫でた。

 足元に転がっている大木の死体を見ても欲情はしないが、さっき吐いてしまったせいもあるのか腹がぐうと鳴った。あれ以来、私は人の味を覚えてしまった。図工室に行けばのこぎりがあるだろう。子どもの肉はまだ食べたことがない。どんな味がするのだろう。
 私は図工室に向かおうと、教室の扉を開けた。廊下には五年一組の児童の頭が転がっており、半分だけ開いた扉からは血まみれの子どもたちが重なって飛び出していた。
 私は高鳴る胸を抑えきれず、扉の中をのぞいた。五年一組の教室はまさに地獄絵図と呼ぶにふさわしく、首の無い子どもたちが様々な方向を向いて横たわっていた。一歩中に入ると血のにおいで鼻腔がぶるぶると震え、喜びを表現した。
 足元の血だまりをぴちゃぴちゃと踏みしめながら教室を一周する。窓のそばに黒い大きな塊が転がっていた。よく肥えたその塊は、五年一組の担任の山田先生のようだった。背中には私のクラスの大木がしがみついていた。私はしゃがんで大木の頭を撫でる。焦げた髪の毛が指に絡まってぱらぱらと床に落ちた。
 その目線の先に、鎌を持った女子児童の死体が転がっていた。名札を見ると「天野」と書いてある。私は首の無い少女を抱き上げ頭を探した。三年生の時に担任を持っていたから、天野の顔は知っている。それはすぐに見つかった。
 十二年前の天野の顔と少女の顔が、今重なる。私は再び腰を下ろし、天野の服を脱がし始めた。



(2010/12)

 

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2010年12月03日 (Fri)
 めったに雪の降ることのない海のそばのこの町に、はらはらと白い綿毛のようなものが舞い落ちて来たのは、今日のお昼すぎのことでした。ずいぶん冷え込んでいましたし、どんよりとした灰色の空は今にも落ちてきそうで、教室の窓の外を雨よりも大きな、白い塊がふわりふわり舞っているのを見て、これは間違いなく雪であると、私を含むクラスメイトたちは大騒ぎしたものです。
 ちょうど給食が終わったあとの昼休みの時間でした。男の子たちは
「雪だー!」
 と叫びながら外に飛び出して行き、そんな男の子たちを見ながら半ば呆れた顔をしつつも、わくわくと胸の底で小人がスキップを始めたかのような、何とも言えない高揚感に満ちた表情で女の子たちは窓の外を眺めていました。
 最後に雪が降ったのは私が生まれる前だったと、おばあちゃんから聞いたことがあります。太平洋岸に面した、冬でも比較的暖かいこの町に雪が降ることなど、本当に稀なことだったのです。つまり私は生まれて初めて雪を見たということになります。本やテレビなどで見ることはあっても、実際体験したことのないこの状況に、私の心は浮かれていました。空から降るその白い物体が雪であると、誰もが信じて疑わなかったのです。
 昼休みが終わるチャイムが鳴り、男の子たちが教室に戻ってきました。皆、鼻を真っ赤にして興奮気味に雪の感想を述べています。
「冷たかった」
「舐めたら少ししょっぱかった」
「なんかちょっとぬるぬるしてた」
 雪に関する情報といえば、「冷たい」と「白い」しか無かった私たちは、感嘆の声を上げながら男の子たちの話を聞いていました。窓の外の雪は少し勢いを増し、量も少しずつ増えています。
「大木、どこ行った?」
 学級委員長の水嶋くんが、辺りを見回しながら言いました。そういえば、先ほどからクラスで一番のお調子者の大木くんの姿が見えません。雪が降り出したとき、真っ先に校庭に飛び出して行ったのは大木くんです。
「まだ外にいるのかな?」
 水嶋くんが窓の外を見ながら首をかしげました。
「ていうかもう授業始まってる時間だよね? 何で先生は来ないんだろう?」
 私の隣にいたリカちゃんが言いました。リカちゃんはクラスで一番仲の良い女の子です。
 皆で一斉に時計の方を向くと、昼休みが終わるチャイムが鳴ってから十五分ほどが経過していました。廊下に一番近い位置にいたえり子ちゃんが、窓を開けて廊下を覗き込みます。
「他のクラスは授業やってるみたいだけど……。誰かほかの先生に言いに行った方がいいのかな?」
 数人が廊下側の窓の付近に集まりました。好奇心を抑えられない私もついつい窓から廊下に身を乗り出します。隣の五年二組の教室からは、学年主任の桜井先生が国語の教科書を読む声が聞こえていました。
 教室の中が一気にざわめき立つのと同時に、雪もどんどんひどくなって行きます。斜めに吹きすさぶほどの強い雪の模様など、ニュースでしか見たことがありませんでした。
「積もるかな?」
 リカちゃんは今のこの状態を面白がっている様子です。にやにやしながら言いました。私はこのおかしな状況に少しだけ恐怖を感じていたのですが、それを悟られることが何だか恥ずかしく思えて、無理矢理笑顔を作って相槌を打ちました。
 五時間目が終わるチャイムが鳴りました。結局担任の山田先生も大木くんも戻って来ませんでした。
 二組の授業が終わったタイミングを見計らって、水嶋くんとえり子ちゃんは桜井先生を呼びとめるため廊下の外に出ました。教室にいた大半のクラスメイトたちがその姿を見ていました。えり子ちゃんのポニーテールのリボン、水嶋くんの少しだけはねた後ろ髪、二人の身長差はほとんど無いように見えました。
 次の瞬間、先に廊下に出たえり子ちゃんの首から上が無くなっていました。勢いよく飛び散る血しぶきと、えり子ちゃんの頭がごろごろと廊下を転がって行く音。私は何が起こったのかわけが分かりませんでしたが、反射的に隣にいたリカちゃんの手を強く握りました。
 間髪入れる間もなく、水嶋くんのお腹を突き破って何かが教室の中に飛び込んできました。口に何か細長いものをくわえて大きな鎌を持ったそれは、今朝見た山田先生の服装と同じ格好をしていました。水嶋くんはお腹から血と内臓のようなものを垂れ流しながら、ゆっくりとその場に倒れました。
 私たちはパニックに陥り、悲鳴、叫び、泣き声、誰かの怒号、そしてなぜか黒板の上のスピーカーからはジリリリリリというサイレンが鳴り始めて、教室は音の洪水に巻き込まれました。私とリカちゃんは手を握ったまま机の下に逃げ込み、体を小さくしてぎゅっと目をつぶりました。
 目を開けてはいけないと思いました。頭の中でおばあちゃんに教わったお経を唱えながら、今が一体どういう状況なのかもわからずに心臓の鼓動がどくんどくんと速く打つその動きを体の中で感じていました。
 山田先生は教室の中をムササビのように飛び回っているようです。びゅんっという風を切るような音のあとに誰かの叫び声、ごろごろと転がる首の音が聞こえ、次第に皆の声は少なくなっていきました。
「ぎゃっ」
 すぐ近くで声がしたかと思うと、握り合っていたはずのリカちゃんの手の力が弱まり、何かべとべとしたものが顔にたくさんかかりました。口の中に少しだけ入ってきたそれは、鉄の味がしました。
 次は私の番だ。もうクラスメイトの誰も残ってはいないようでした。
 ガタガタと音が聞こえるほどに震えていると、スカートの中が濡れているのに気付きました。どうやら恐怖のあまりおもらしをしてしまったようです。目をつぶってはいましたが、私の足元にはクラスメイトたちの血液と漏らしてしまった尿でびしゃびしゃに濡れているのが分かりました。きっと私はこのまま殺されてしまう。
 そのとき、ずっと鳴り続けていたサイレンの音が止みました。それと同時に、私のまぶたの中に強い光が差し込んで来ました。それは目をかたく閉じていても感じられるほどに強烈な光で、その一瞬だけは意識が少しだけ遠くなりました。
 私の意識がどこかへ放り出されている間、私は様々なことを思い出しました。リカちゃんに貸したままのマンガのこと、一年生のとき大木くんに意地悪をされて泣いていたこと、二学期の初めに死んでしまった飼育小屋のうさぎを死なせたのは私だと疑われたこと、山田先生が授業中に「カーッ」と言って痰を吐くようなしぐさをするのが嫌いだったこと、今朝お母さんと喧嘩したまま謝っていないこと、おばあちゃんが「雪の降る日は良くないことが起こるでねえ」と言っていたこと。
 意識がかえってくるのと同時に私は目を開けてしまいました。窓の外の雪はすっかり止んで、強い太陽の光が教室の中を照らしています。おそるおそる周りを見渡すと、首の無くなったクラスメイトたちが大勢横たわっていました。立ち上がろうにも、足元の血の海に足を取られ、なかなか立つことが出来ませんでした。そう、それは血の海と呼ぶにふさわしいものだったのです。
 窓のそばに山田先生が倒れていました。鎌を持ってはいましたが、全体的に黒く焼け焦げていて、生きてはいないようでした。背中には片腕のない大木くんが山田先生の首に巻きつくようにして乗っかっていました。頭はくっついていましたが、真っ黒に焦げて表情など何も分かりませんでした。
 私は這いつくばるようにして窓のそばまで行くと、太陽に照らされた校庭を眺めました。さっきまで降っていた雪のせいで、校庭はたくさんの水たまりが出来ていました。その水たまりの水はどれも赤く、血だまりのようにも見えました。
 教室の中で、一人生き残ってしまった私は、これからどうすれば良いのでしょう。私は途方に暮れました。そりゃあ私はクラスメイトの皆のことが大嫌いで、みんな死んじゃえばいいのに、って毎日願っていたけれどこれはさすがにやり過ぎじゃあないかな、って、そう思えたら何だか笑えてきました。そして山田先生の握っていた鎌を手に取り、首にあて、思い切り横に引きました。自分の首が飛んで行く感覚、冷たい床の血のにおい。最期の記憶を持って私はみんなのいる世界に旅立ちました。何だかんだ言っても、やっぱり私はクラスメイトのみんなを嫌いにはなれないようです。



(2010/12)

2010年07月01日 (Thu)
 「僕は春野さんのその真っ直ぐで淀みのない目が好きだよ」
 入学式の翌日、わざわざ私の席にまで来てそう言ったのは、同じクラスの上田くんでした。上田くんの目は子犬のように真っ黒でそれこそ淀みがなく、純粋な輝きを放っていました。
 そんなこっ恥ずかしいセリフよく言えるな、と思ったものの、誰かに「好き」と言われても別に嫌な気持ちはしません。私は、自分でも気持ち悪いと認識出来るレベルの愛想笑いを浮かべて
「あ、ありがとう」
 と上ずった声で答えたものでした。
 上田くんとは理科の実験の班が同じで、掃除の班も同じで、気付いたら席替えで隣の席になっていました。上田くんは、ことあるごとに私に声を掛けてくれました。おはよう、とか、また明日な、とか、挨拶程度の言葉でしたが、そんな言葉を一度も掛けられたことのなかった私は心の中で密かに喜びました。身の程知らずというものでしょうか。それは小学校の頃から続く女子からの陰湿ないじめを加速させるにはとても良い燃料になりましたが、このクラスで私のことを少しでも気に掛けてくれる、認めてくれる存在が一人でもいるということが、頑張って明日も学校に来よう、という気持ちにさせてくれたものでした。
 上田くんは今、「僕は春野さんのその真っ直ぐで淀みのない目が好きだよ」と言った時と同じ子犬のような瞳で私を見ています。私の上には同じクラスの男子が三人、ここは放課後の体育倉庫といういかにもなシチュエーションで、私の体をまさぐる六本の腕が汗と湿度と荒い呼吸たちに勢いをつけ、体育倉庫内の温度をどんどん上げて行きます。
「春野さん、こういうの好きでしょう?」
 そう言いながら上田くんは私の髪の毛を掴み、思いっきり右の頬をグーで殴りました。目の前が真っ白になり、まぶたの裏にいくつもの星が飛びます。「ぐふぅ」という色気の無い叫びにもならない声が私の口から漏れると、四人のクラスメイトたちは手を叩いて爆笑です。私はエンターテナー、人々を楽しませるのが仕事なの。そう自分に言い聞かせてもやはり悲しいこと、痛いことに変わりはなく、荒々しく乱暴に扱われた所為で私の下腹部、つまり膣の周りはずっとひりひりしています。髪の毛に飛んだ精液と、体育倉庫のほこりっぽいにおいで今にもむせてしまいそうです。
「今日はもうこのくらいにしとく?」
 上田くんはそう他の男子に意見を求めると、一番体の大きな野球部の中川くんが
「じゃあ俺最後にもう一発やる」
 と言いながら私の下半身に噛み付いてきました。お前最低だな、と同じく野球部の吉田くんが笑います。私はもう声も出せません。きっと私のそこは赤く腫れ上がっているのでしょう。
 お父さんに何て言えば良いんだろう。朦朧とした意識の中で私は考えました。クラスの男子に輪姦されたのは今日が初めてではないけれど、いつもお父さんが私の部屋に来る日とは別の日でした。お父さんが私の部屋に来るのはお母さんが夜勤の日だけ。それは水曜日と土曜日で、残念ながら今日は水曜日なのでした。
 中川くんの体が、私の上にのしかかり、更に私の中心めがけてぐりぐりとそこを突き破ってきます。気持ち良いだとか痛いだとか、そういう感覚は既に一切無く、じんじんとただ痺れるだけで、灰色の天井を見上げながら、ああ早く終わらないかなあ、と私は思います。そして、虚空のことを考えました。虚空は学校の裏にいるメスの黒猫で、とても臆病な性格の所為か普段は絶対に生徒たちの前に現れることはないのですが、なぜか私にだけは懐いているのです。「虚空」という名前は私が勝手に付けました。何となく、響きが可愛いかなあ、と思って。
 私は虚空に何でも話しました。声に出して言うとはばかられるようなことばかりなので、主に心の中でですが、それでも虚空には全て伝わっているような気がします。虚空は私の目をじっと見て、小さく、にぃ、と返事をしてくれるからです。ごろごろとのどを鳴らしながら何度もすりすりと体を寄せて甘えてくる虚空が、私は可愛くて仕方ないのです。虚空にだけは、何でも言える。猫は絶対に裏切らないし、嘘も吐かない。
 中川くんは私の口の中にどろどろとした体液を放つと、私の頭を掴んで奥までそれを押し込んで来ました。青臭い精液のにおいとのどの奥を刺激されたことで私は今にも吐いてしまいそうでしたが、今日の給食はクラスの女子に全部取り上げられてしまっていたので、私の空っぽの胃袋からは何も出ては来ないのでした。
「じゃあね、春野さん。そこちゃんと片付けとくんだよ。分かってるね? また明日ねえ」
 上田くんは私が他の男子に輪姦されているところを見ているだけで、絶対に自分では手を下しません。いつも子犬のような瞳をころころと転がして、笑っているのです。それはきっと私が汚いからでしょう。クラスでも人気のある上田くんが、こんな私に少しでも触れたらきっと腐ってしまいます。
 ひとり残された体育倉庫で、天井を見上げると視界がぴかっと光りました。その直後に物凄い勢いで雨が降り出し、ごろごろと雷が鳴り始めました。私は虚空のことを思い出しすと、ぐちゃぐちゃになってしまった制服を適当に直して、辺りに散乱したティッシュを拾い集めて鞄に突っ込み、体育倉庫の外へ飛び出しました。
 テスト前なので、部活はどこも休みです。いつもは運動部で賑わうグラウンドも、人っこひとりおらず、勢いよく降りしきる雨で土がどんどんえぐられていきます。雨に濡れるのも構わずに、私は校舎の裏まで走りました。雨が髪の毛に付着した精液も洗い流してくれるかも知れない。そんなことを思ったりしました。
「虚空、虚空」
 裏口付近の屋根がある階段のそば、いつも私が虚空との密会を果たしている場所で、何度も虚空の名前を呼びました。雨がひどいので出て来ないのか、雨の音で私の声が聞こえていないのか、虚空は姿を現しません。私はその場に座り込み、雨が止むのを待ちました。今家に帰ればまだ誰もいない。お母さんは夜勤に出掛けたあとだし、お父さんが帰ってくるのは夜の九時過ぎです。それまでにシャワーを浴びて何事もなかったようにお父さんを迎え入れなければなりません。お父さんは、私を抱きながら
「お前だけは俺を裏切らんといてくれ。もう他の女はたくさんだ」
 と泣きます。お父さんはクラスの男子のように私の体を手荒に扱ったりすることもないし、私もお父さんのことが別に嫌いではないので、それを拒否したりすることはありません。これは小学校四年生の夏休みから続く私とお父さんの秘密ごとです。誰にも言ってはいけないのです。あ、でも虚空にだけは話してしまいましたが。
 にぃ、という鳴き声で顔を上げると、雨に濡れてひとまわり体が小さくなってしまった虚空が私の隣に座っていました。私が鞄の中からパンを取り出し虚空に与えると、嬉しそうに虚空はそれを頬張りました。これは給食室のおばさんに頼んで貰ったものです。パン一つじゃ足りなくて、と言うとおばさんは少し怪訝な顔をしましたが、大量に余っているパンの一つを私にくれました。いつもは給食のパンを残して持って来るのですが、今日はそうも行かなかったので。
「美味しい?」
 そう聞いても虚空は返事をすることもなく、がつがつとパンを貪っています。私は今日学校であったこと、「死ね」と書かれたノートがまた三冊増えたことや給食の牛乳に赤い絵の具を混ぜられて無理矢理飲まされたこと、それを見ながら指をさして笑っていた担任のひどい顔やクラスの女子が私に浴びせた罵倒の数々、そして放課後連れ込まれた体育倉庫でクラスの男子に輪姦されたことなどをひとつひとつ思い出しながら話しました。決して口には出さず、心の中で話しかけると、虚空はごろごろとのどを鳴らして答えてくれます。黒いつやつやとした毛並みを撫でながら虚空と話をしている間が、私にはとても落ち着ける時間なのです。虚空はとても綺麗な猫で、顔立ちも凛々しくきゅっと締まった体から伸びる四本の脚はとても美しい。私も猫になりたかったな。虚空にそう話しかけると、顔を上げて小さく、にぃ、と鳴きました。
 雨が小降りになった頃を見計らい、私は学校をあとにしました。夜になればお父さんが私の体を求めて部屋にやってきます。それまでにシャワーを浴びて、部屋を片付けて、今日学校で出された課題を終わらせなければいけません。
 家に帰るまでの間、この世の不幸は私が背負っている、だからみんな私の代わりに幸せになればいい! などと考えていたら涙が出て来ました。いえ、あれはきっと涙ではなく雨だったのです。私は辛くなどありません。こうして生きることが私に課せられた使命であるのなら、喜んで受け入れましょう。
 玄関を開けると、お父さんが立っていました。
「遅かったな……」
 そう言いながら私を殴り付けるお父さんは、いつものお父さんではありませんでした。
「こんな時間まで何をしていた? テスト前だから学校はもっと早く終わるはずだろう。俺はお前に会いたくて、早くお前と二人きりになりたくて、仕事を早退して帰ってきたのに! 何故もっと早く帰って来ない!」
 上田くんが私にしたように、お父さんが私の髪の毛を掴んで頬を何度も殴りました。涙なのか血なのかすらよく分からないものがそこらじゅうに飛び散り、鉄の味がする口の中で、何度も「ごめんなさい」と呟いたけれどそれはお父さんには届いていないようでした。
 お父さんは制服のリボンを勢いよくむしり取ると、それで私の両手をくくって玄関の鍵を閉めました。そして私の下着を剥ぎ取り、ショーツを私の口の中に突っ込みます。むあっとした精液のにおいが口の中にもう一度広がって、私はまた吐きだしそうになりました。しかしそれすら許される間もなく、お父さんは私の膣をぐいぐいと掻き混ぜました。
「おいお前、他の男とやったのか? これは何だ……」
 差し出された中指には血と精液が混じった半固体状のものが巻きついていました。首を大きく横に振ると、
「嘘をつくな!」
 そう言ってお父さんはまた私の頬を殴りました。そして涙を流しながら自分も下着を取り、私の中にずんずん入って来ました。
「お前だけは信じてたのに……、お前だけは……」
 お父さんの涙が私の顔の上にぼたぼたと落ちて来ます。目をつぶると顔に唾が飛んできました。私が生きている世界はこんなにも不条理で、異常で、真っ暗です。神様、神様、もしあなたがいるのなら、次に生まれ変わった時は私を猫にして下さい。
 熱い体液が私の中に流し込まれたあと、お父さんは私を玄関に放置したままどこかに出掛けて行きました。顎と腕の力を使ってなんとかリボンをほどき、口に詰め込まれたショーツを取り出すと、立ち上がって浴室に向かいました。外はすっかり日が暮れて、まだ雨は降り続いているようです。浴室の電気を点け、鏡を見ると、ぼさぼさのおかっぱ頭の女が映っていました。久し振りにまじまじと見る自分の顔はそりゃあひどいもので、痣だらけ傷だらけ、腫れ上がったまぶたの下にくっついている小さな目玉は淀みまくっているし、これはいじめの標的になっても仕方ない、と無理矢理納得させられてしまいました。
 熱いシャワーを浴び、体をごしごしと洗います。下腹部にお湯を当てると思いっきりしみたので、そこはそっとぬるま湯で洗いました。初潮がまだ来ない私の膣から血が流れるなどおかしな話なのですが、そこからあふれ出したわずかな血液が、お湯に混じって排水溝に吸い込まれて行きました。
 お父さんはどこへ行ったんだろう。少しだけ冷静になった私は考えました。お父さんはいつ帰って来るんだろう。帰ってきたら、また同じことをされるかも知れない。いや、今度は殺されるかも知れない。もしかしたら、凶器になりそうな刃物を買いに行ったのかも知れない。私はまだ死にたくない。こんな世界でも、授けられた生はせめて全うしたい。
 髪の毛も乾かさず、投げ込まれた洗濯物の中から適当に選んだTシャツと体育の授業で使う短パンを履いて、私は家を出ることにしました。外はまだしとしと降り続いています。玄関に立てかけてあったビニール傘を差して、私は学校に向かいました。虚空に会いたかったのです。虚空は、こんな私を許してくれるでしょう。こんな醜い汚れた私でも、きっと虚空なら全て受け入れてくれるはずです。早足で歩くと雨が跳ね返ってふくらはぎを濡らしました。そんなことは気にもなりません。頭の中は虚空でいっぱいでした。
 閉じられた門をよじ登る頃には雨が大分小降りになっていて、濡れたアスファルトの上を歩きながら虚空に思いを馳せました。今日は虚空と一晩ここで過ごそう。明日の朝、お父さんが会社に出掛けたあとに家に帰って急いで準備をして、何もなかったようにまた学校に来ればいい。とりあえず今夜は家の中にいるのは危険だ。虚空が私を守ってくれる。
「虚空、虚空」
 私は虚空の名前を呼び、暗闇の中から、にぃ、という声が聞こえて来るのを待ちました。しかしいっこうに虚空は現れません。私は名前を呼びながら周囲を歩きまわりました。そして低く唸るような鳴き声と、闇の中に浮かんだ四つの黄色い目玉を見付けました。
「虚空?」
 目が合った虚空は私のことなどお構いなしに、上に乗せたオス猫に向かって甘い声を発しています。一瞬で状況を把握した私は、
「あ、お邪魔してごめんねえ」
 などと白々しい言葉を投げ掛け門の方へ歩き出しました。虚空は絶対裏切らないと思ったのに。猫を信じることさえ許されないなんて、私の人生めちゃくちゃだ。
 私は傘をその場に投げ捨て、ああああああああああああああああああああ! と叫びながら校庭を走り回りました。そしてぬかるみに足を取られ、そのまま泥だらけのグラウンドに突っ伏しました。
 息が荒く、呼吸とともに口の中に入り込んで来た泥で、舌の上はじゃりじゃりしています。寝返りを打ち、天を仰ぐと、雨粒の一滴一滴が落ちて来るのがよく見えました。
「あーあ」
 思わず口から出たのはその言葉だけで、私は思わず笑ってしまいます。あーあ。
 きっとこの世に神様なんていない。信じる方が悪い。私は私しか信じちゃいけないんだ。そう思いながら見上げた空は綺麗な紺色で、それは制服のスカートの色と同じ色でした。
 私は起き上がり、家までの道を歩きます。時々通りすがる車のヘッドライトが照らす雨粒が、きらきら光って、それはとてもとても綺麗でした。おわり。



(2010/7)
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[06/27 骨川]
[05/22 くろーむ]
プロフィール
HN:
原発牛乳
年齢:
39
性別:
女性
誕生日:
1984/09/21
職業:
自由人
趣味:
眠ること
自己紹介:

ただのメモです。


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